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【追悼】 チェ・グムソンハルモニ

今年になってもう7名のハルモニが旅立っています。
これで韓国で生存されている被害者は48人。
私たちも、日々の闘いが急かされていると実感します。
1日でも早く、日本軍「慰安婦」問題の解決を。
(hong hyohaeng)

゜*゛:¨*;.・';゛:..・☆。・ ゚・。* 。 +゚。・.。* ゚ + 。・゚・

皆さま

またひとりの日本軍「慰安婦」被害者が亡くなられました。
7月5日夜11時20分にチェ・グムソンハルモニが他界されました。

1925年11月に生まれたチェ・グムソンハルモニは
老いによる病で2007年から老人専門病院に長期入院しつらい闘病生活を送りました。
そのまま病院にて昨夜息をひきとられました。
ハルモニが苦痛のない安らかなところへいけるよう願います。

今年に入ってすでに7人のハルモニが亡くなり
日本軍「慰安婦」生存者は48人になりました。
ハルモニがひとりでも多く生きているうちに
謝罪を受け心の苦痛をとりのぞくことができるよう
一日も早く問題が解決しなければなりません。

チェ・グムソンハルモニの冥福を祈ります。

韓国挺身隊問題対策協議会

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訃報です

韓国挺身隊問題対策協議会より6月にはいり3人の
ハルモニが天国へ旅立った訃報がはいりました。
心よりご冥福をお祈り申しあげます。(hong hyohaeng)

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日本軍「慰安婦」被害者であるキム・ヨニハルモニが
6月24日夜10時ごろに亡くなられました。

キム・ヨニハルモニの証言による被害状況は以下のとおりです。

1932年にテグで生まれ5歳でソウルに引越。
ソウルの国民学校(小学校)5年生在学中の1944年に
日本人校長によって日本に送られました。
父が独立運動をして中国に行ったことが不利になり送られたとのことです。

ハルモニは下関を経て富山県の飛行場付属工場で約9ヶ月働かされた後
青森県の慰安所に連行され
そこで7ヶ月間慰安婦生活を強いられました。

解放を迎え船に乗ってソウルにもどってからは
慰安所での記憶の後遺症により精神病院で治療を受けました。
その後ハルモニは結婚せずに家政婦で生計を立て暮らしました。

キム・ヨニハルモニが亡くなり
日本軍「慰安婦」生存者は49人になりました。
6月だけですでに3人がこの世を去られました。
本当に時間がないと実感します。
一日も早くハルモニたちが苦痛をふりはらい余生を安らかに過ごせるよう
日本軍「慰安婦」問題解決に多くの関心と連帯をお願いします。

訃報です

 先日のファン・ソンスンハルモニにつづき、31日に日本軍「慰安婦」被害者が他界されたと韓国挺身隊問題対策協議会より訃報が届きました。昨年はぺ・チュンヒハルモニをふくむ2名のハルモニが他界されましたが、今年になってすでに2名のハルモニが他界されました。
 一日も早く日本政府が謝罪するよう運動をより強めていかねばと痛感します。
 ハルモニが天国でさびしくならないよう、ご冥福をお祈り申しあげます。

以下、韓国挺身隊問題対策協議会からの訃報です
(hong hyohaeng)

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皆さま

先日ファン・ソンスンハルモニの逝去をお知らせしたところですが
またひとりの日本軍「慰安婦」被害者が亡くなられました。

1月31日にある病院で持病により亡くなられたハルモニについては
生前から保護者が被害事実の公開を望んでおらず
名前やその他の情報を明らかにすることができません。
ご了承願います。

今年に入って二人のハルモニが亡くなり
日本軍「慰安婦」被害登録者238人のうち
生存者は53名です。

日本からもハルモニの冥福をお祈りください。

韓国挺身隊問題対策協議会



中国青年報、「慰安婦」の死者は30万人と報道(中国紙・中国青年報より)

 30万人というのは、日本軍による中国侵略戦争期間中、約75%のアジア人「慰安婦」たちが日本軍に蹂躙されて死亡した人数だという。
 これは日本でいう中核市の人口に匹敵する。主な中核市では、北海道札幌市(28万人)・福岡県久留米市(29万人)・沖縄県那覇市(32万人)・・・。そこにくらしている全ての人が「慰安婦」にされ、死亡したと考えると、恐ろしくなる。(hong hyohaeng)

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参考記事:中国紙・中国青年報(2014年12月16日)
中国青年報、「慰安婦」の死者は30万人と報道
旧日本軍に蹂躙されて死亡した慰安婦は約30万人、南京大虐殺の被害者数に匹敵―中国紙
http://www.focus-asia.com/socioeconomy/photonews/404408/

【記事の一部です】
 中国慰安婦問題研究センターの統計によると、14年に及んだ日本の中国侵略戦争期間中、約75%のアジア人慰安婦が日本軍に蹂躙されて死亡した。その数は約30万人。南京大虐殺の犠牲者数に相当する。


訃報です

 このブログでの訃報が遅くなりましたことをお詫び申しあげます。今回の訃報をうけて個人的に感じたことも書かせていただきます。(hong hyohaeng)

 6月8日早朝に、ナヌムの家にくらしていました ペ・チュンヒ ハルモニが他界されました。享年91歳。老衰だったようです。長く、日本に住んでおられたこともあり、日本語もふだんから喋られるので、日本からナヌムの家に行かれた方には印象に残っていることだと思います。
 私も2005年にナヌムの家に訪れ、初めて会話をした「被害者」でした。その後、ナヌムの家に行くたびに前回撮った写真を持っていってお渡しし、「また今年もいっしょに撮れましたね。また次回も撮りましょうね」と交わした会話がなつかしく想い出されます。
 この4月に当会で韓国平和ツアーを行ないました。ナヌムの家にも行ったのに、ハルモニに会わないまま、そこを出発しました。「次回来た時にでも・・」と。 安易でした。後悔ばかりがつのって仕方ありません。亡くなったことが、いまだに信じられません。

 後悔という点では、日本政府からの謝罪の言葉を聞いてもらうことなく、旅立だせてしまったことです。5月末に第12回アジア連帯会議で「被害者」の一人である金福童ハルモニが言っていました。「死ぬ一日前でもいい。日本政府からの謝罪を聞いて、大の字になって寝てみたい」と。その言葉を糧に活動を と思っていた矢先の今回の訃報。悔やまれて仕方ありません。早期解決ということは、もう日々で考える猶予はないということを思い知らされました。
 今回の連帯会議参加者の賛同提議として、「日本政府に対して河野談話以降に発見された歴史資料を突きつけ、加害事実と責任を認めさせ、『被害者』に対して謝罪と賠償を改めて求める」でした。そして「被害者の生存中にそれを実現する」ということでした。しかしながら、今回の訃報で、日本軍「慰安婦」の生存者は54名となりました。
 「被害者」が例えいなくなっても、この運動は続けていかなければならない。なんて考えていた時期がありましたが、完全に間違っていました・・・。「被害者」の気持ちなんて全然考えていなかった・・・。
 日本政府から謝罪の声を聞くことができないまま旅立つことがないようにしなければならない。そのためには、なんとしても「被害者」が生存している間に、日本政府に加害の事実と責任を認めさせ、謝罪をさせます。

 本日はペ・チュンヒ ハルモニの告別式がナヌムの家で行なわれました。天国までの道のりを迷わないよう、みなさんの祈りで導いてあげてください。最後になりましたが、心からご冥福をお祈りもうしあげます。




訃報です

 事務局の諸事情で訃報のご報告が大変遅くなり、お詫び申しあげます。
1月26日にファン・グムジャハルモニが他界されました。
心よりご冥福をお祈り申しあげます
以下、韓国挺身隊対策協議会からの訃報です。 (hong hyohaeng)

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韓国挺身隊対策協議会
梁路子です。

新年が明けてすぐ
そして
韓国では旧正月の直前に
悲しいお知らせです。

日本軍「慰安婦」被害者ファン・グムジャハルモニが
1月26日午前1時30分に亡くなられました。(享年91歳)

ハルモニは1924年にハムギョン道で生まれ
13歳ごろにハムギョン北道フンナムのガラス工場で働き
約3年後に間島地方で戦争が終わるまで日本軍「慰安婦」生活を送りました。

解放後
家族親戚のいない(分断線の)南側に定着し
日本軍「慰安婦」被害の後遺症で対人忌避症となり寂しい一人暮らしをしてきました。
簡単には人を信じず人間関係を断絶し生きてきました。
日本軍「慰安婦」被害者に申告後もハルモニは公開活動をしませんでした。
勤勉で有名なハルモニは古紙回収でためたお金を貯金し
政府からの生活支援金も使わずあつめ
2006年から地域の区庁に奨学金として寄付しました。
未来世代のため全財産を寄付したハルモニには
つつましい賃貸アパートだけがすべてでした。

ファン・グムジャハルモニが亡くなり
生存者は55人になりました。
一日一日が時間との闘いである日本軍「慰安婦」ハルモニ
しかし今日この時間にも日本政府は責任を認めず
日本軍「慰安婦」被害者を再び傷つけ妄言を続けています。
韓国政府の外交政策も失踪したまま進まず
ハルモニの胸の傷は深まるばかりです。

ハルモニのご冥福をお祈りします。
そしてみなさんもファン・グムジャハルモニの冥福をお祈りいただき
一日も早く日本軍「慰安婦」問題が解決し
ハルモニが少しでも安らかに余生を送ることができるよう願います。




訃報です

「終わらない戦争」で語られているロラ・ピラールが9月26日に他界されたと
フィリピン元従軍「慰安婦」裁判を支援する会より訃報が届きました。

ロラたちが果たせなかった夢を私たちが力をあわせ、成し遂げられるよう
微力ながら、これからも活動に取り組んでいきます。 
ご冥福をお祈り申しあげます。
※ 一部送信者、転送者のお名前を伏せていることをご了承ください。

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みなさま、

また、悲報です。
フィリピン元従軍「慰安婦」裁判を支援する会からのメールを転送します。

8月11日の国際シンポに、エステりータさんと一緒に来日予定でしたが、
急遽、体調を崩されて断念された方です。映画「終わらない戦争」にも登場して
いるので、ご存知の方も多いと思います。

一時的な不調と思っていましたのに。

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今、レチルダさんから電話で、

26日にロラ・ピラールが亡くなったとの知らせを受けました。
明日、葬儀に行くそうです。
ロラ・ピラールの笑顔が浮かびます。

フィリピン元従軍「慰安婦」裁判を支援する会


訃報です

日本軍「慰安婦」だった方は朝鮮人だけではありません。
中国や台湾でも甘言や拉致などされたたくさんの「慰安婦」
がいます。9月4日に中国人で「慰安婦」にされた万愛花
ダーニャンが他界されました。

万愛花ダーニャン自身も原告なりたくさんの場で証言をされて
いました。先日の橋下日本維新の会協同代表の「慰安婦」発言
にも怒りをあらわに声をあげました。
ダーニャンの無念な想いをしっかりうけとめ、一日も早く「慰安婦」
問題が解決するようこれからも行動します。

心からご冥福をもうしあげます。
以下、山西省・明らかにする会より

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中国の日本軍性暴力被害者であり、正義と尊厳を取り戻すために闘い
続けた万愛花(WanAihua)大娘(ダーニャン)が、9月4日午前0時
45分、太原市内の病院で逝去されました。満83歳(数え年85歳)
でした。

万愛花大娘は1992年、東京で行われた国際公聴会で、中国人の日本軍
性暴力被害者として初めて世界に向けて被害を訴えたことで、国際的にも
よく知られています。1998年、他の9人の原告とともに性暴力損害賠償
請求訴訟を起こし、証言のために何度も来日しました。また2000年に
東京で開かれた女性国際戦犯法廷でも原告として証言しました。多くの方が、
法廷や集会で証言し、発言した万大娘の姿と言葉を、強い印象で記憶に
とどめておられると思います。

万愛花大娘は多くの病をかかえ、たびたび入院しながら責任感と気魄で
闘って来られました。昨年春、脳梗塞を起こして入院、その後はほぼ
病院生活でした。脳梗塞を続発して麻痺の範囲が広がりましたが、認識も
意思も終始明確でした。

この8月26日、山西省・明らかにする会の訪中団メンバーがお見舞いに
行った時は、すっかり痩せて弱られ、声も小さく、お話もままならなかった
とはいえ、「必ず結論を得てほしい。日本政府に圧力をかけて解決を要求して
ほしい」「頑張って(闘いを)放棄しないで」と、私たちに思いをしっかり
託されました。

万愛花大娘ご逝去の悲しいお知らせと共に、なんども言葉が途切れながら
託された万大娘のこの思いを、みなさまにお伝えいたします。

山西省・明らかにする会

訃報です

今月に入り2度目の訃報です。
また一人のハルモニが私たちのそばを離れ、韓国の生存者は56名となりました。
心からご冥福をお祈り申しあげます。
以下、韓国挺身隊問題対策協議会からです。

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皆さま

全羅北道コチャンで暮らしていたチェ・ソンスンハルモニが24日5時30分に亡くなりました。

1927年にコチャンで生まれ
1942年強制連行され慰安婦となり苦難の日々を送られました。
3年後に解放(終戦)を迎えようやく故国に帰ることができましたが
慰安婦生活による精神的・肉体的苦痛の中で暮らしました。

亡くなる前まで日本軍が夢に現れ辛いと話していたハルモニ
少しでも話そうとすると胸が苦しくなると話していたハルモニ
日本政府の謝罪と賠償を必ず受けると約束しましたが
その無念をすべてはらすことができず申し訳なく残念です。

ハルモニの冥福を祈ります。

今月に入り
二度目の訃報に胸が痛みます。

日本からもハルモニの冥福をお祈りくださいますようお願いします。

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子








訃報です

22年前の今日8月14日に故 金学順ハルモニが、
自ら日本軍「慰安婦」であることを名乗り出た日でした。

本日、韓国や日本各地でメモリアルデーなどに取り組んでいます。
その今日という日を迎えることができなく、去る11日に
李容汝(イ・ヨンニョ)ハルモニが他界されました。
心からご冥福を申しあげます。
以下、韓国挺身隊問題対策協議会からです(立石孝行)

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皆さま

日本軍「慰安婦」被害者(享年88歳)が
2013年8月11日午前2時ごろ
老衰と持病で無念の生涯を終えられました。

1926年京畿道ヨジュの貧農の家に生まれたハルモニは
幼いころから奉公に出され辛い生活を送りました。
満16歳で騙され台湾・シンガポールを経てビルマの山中で日本軍「慰安婦」にさせられました。
解放(終戦)とともに収容所に入れられ
翌年帰国されました。

ハルモニは1992年に挺対協へ日本軍「慰安婦」被害者申告し
初期から水曜デモに参加
日本軍「慰安婦」の真実を証言しました。
しかし日本政府の謝罪と賠償を受けられないまま亡くなられてしまいました。

誰よりも情深かったハルモニ
会うたびに忙しいのに何故来たんだと言いながらも
ぎゅっと握ってくれた温かい手。
今もハルモニの体温を感じます。

日本からもハルモニが寂しくないよう冥福をお祈りください。

また一人の生存者が私たちのそばを離れ
韓国の生存者は57名となりました。


韓国挺身隊問題対策協議会


訃報です

 先日、中日新聞に共同通信発で一般の訃報記事としても出ていましたが、
中国人「慰安婦」第2次訴訟の原告だった郭喜翆さんが、23日午後8時
58分、高血圧に起因する心機能低下により、山西省西煙南村のご長男の
家で他界されました。86歳でした。
 
 郭さんは、1942年宋庄村の姉の家に手伝いに行ったときに、日本軍
に拉致され、進圭村の日本軍駐屯地に連行されました。まだ15歳のとき
でした。毎日、日本軍兵士から性暴力を受け、いったんは家に返されます
が、すぐにまた駐屯地に引き戻され、繰り返し被害に会いました。
 こうして3度、連行されましたが、日本軍の手の及ばない母方の実家
に隠れ、その後の連行をまぬがれたそうです。しかし、この3度にわたる
監禁と性暴力で、心身ともに深刻な後遺症を受けました。特に精神的な後
遺症が残り、日本政府に賠償などを求めて提訴をしました。最高裁は07年
の判決で、請求権は認めず、敗訴となりましたが、暴行などの事実関係に
ついては認定されました。

 最近では、橋下大阪市長の「従軍慰安婦」発言に抗議し、橋下氏が所属
する大阪弁護士会に同氏の徴戒を請求する準備作業にも参加していたそう
です。
 
 「慰安婦」の方々はアジア各国に存在します。なぜ存在するのか。
戦時中の日本国の責任です。「慰安婦」の方々を今もなお、否定し続ける
日本政府に必ず謝罪と今後、教育で事実を教えることを認めさせるため、
意見書可決にむけた活動を続けていきます。
 郭喜翆さん、心より御冥福をお祈り申しあげます。(立石孝行)

訃報です

新しい年をむかえましたが、ファン・グムジュハルモニの
訃報がはいってきました。これで日本軍「慰安婦」ハルモニは
58名となりました。
ご冥福をお祈り申しあげます(立石孝行)
※以下、韓国挺身隊問題対策協議会からの情報です。

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故ファン・グムジュハルモニが1月3日午後1時45分頃亡くなられました。

故ファン・グムジュハルモニは
1922年にプヨで生まれました。
1934年頃、13歳のときにハムン・チェ氏の家に養女として入り
1941年、日本の軍需工場に行って3年契約で働かなければならないという
通知を受けた主人の家の長女の代わりに連れていかれたのが
軍需工場ではない中国吉林にある民家さえない軍部隊でした。
その後、吉林や満州などで日本軍性奴隷としての苦しみを味わいました。
1945年に解放を迎えましたが、戦場に捨てられたファン・グムジュハルモニは
服や靴を拾って身にまとい食べものを乞いながら歩いてチュンチョンまで
たどり着き その後、石炭車に載せてもらいチョンニャンニで降りてソウルで
暮らし始めました。

ファン・グムジュハルモニは
1992年に挺対協へ被害者申告し、それからは誰よりも積極的な人権運動家
として活動しました。
1992年8月には国連人権小委員会が開かれるスイス・ジュネーブへ挺対協代表団と
訪問し 日本軍「慰安婦」として経た凄まじい経験を暴露、国際人権専門家たちに
衝撃を与えました。
その後、米ワシントン・NY・アトランタ、カナダ、日本など世界各地を廻り
日本帝国主義が女性に犯した蛮行を告発しました。

日本大使館前では「謝罪せよ!」「私の青春を返せ!」と身をよじって絶叫し、
時には水曜デモを妨害する韓国警察に向かって「おまえたちはどこの国の警察だ!」
と激怒しました。

そんなハルモニも2005年から認知症を患い
釜山にいる娘さんのもと近隣の療養院で治療を受けていましたが
2013年1月3日午後1時45分頃亡くなられました。
1月5日に葬儀が行われ、天安望郷の丘に眠る故キム・ハクスンハルモニの
お墓の隣に埋葬されます。

ハルモニが晴らせなかった無念、
私たちが晴らせるよう
挺対協は屈せず活動していきます。
故人の冥福をお祈りくださり、家族と知人に平和を願い、ハルモニが果たせなかった
夢を私たちが力をあわせ成し遂げられるようご協力願います。

共同代表
ユン・ミヒャン ハン・グギョム

訃報です

訃報が続きます。日本政府の対応に無念を感じます。
一刻も早い解決ができるよう、よりいっそうの運動に
拍車をかけていけるように・・・。
心からご冥福を申しあげます。
以下、韓国挺身隊問題対策協議会からの文書です(立石孝行)

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昨日悲しいお知らせを送ったあと
今日もハルモニの訃報が入ってきました。

3月12日夜9時ごろ
慶尚南道のヤンサンにある療養病院に入院していた
ペ・ボンナムハルモニが亡くなられました。
ハルモニは約2ヶ月前にがん宣告を受けていました。

1923年慶南ハドンで生まれ
18歳の時に就労詐欺にあい中国へ連行され「慰安婦」生活を
強いられました。
その後、インドネシア・スマトラ島で苦痛を味わされました。

解放後は捕虜収容所に入れられ
何とか故郷に帰ってきたハルモニはプサンで暮らした後
ヤンサンの療養病院に長期入院中でした。

今週会いにいこうと思っていた矢先でした。
家族の意思により葬儀は行われません。
明日火葬され遺灰はまかれます。何の跡形もなく逝きたいと
おっしゃっていたそうです。
苦しかった人生から離れ安らかにお眠りください。

日本からも故ペ・ボンナムハルモニの冥福をお祈りください。


訃報です

今年になって訃報がない日が続いていましたが、さきほど
韓国挺身隊問題対策協議会より訃報が届きました。
これで、日本軍「慰安婦」ハルモニの生存者は62名となりました。
心からご冥福をお祈り申しあげます。
以下、韓国挺身隊問題対策協議会から文書です(立石孝行)

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昨年8月に発表された韓国憲法裁判所の決定と
12月14日の1000回デモ開催は
韓国社会をして再び日本軍「慰安婦」問題解決への大きな気運を醸成し
被害者に希望を与えてくれました。
それを反映するかのように12月13日を最後に
これまで被害者の訃報をお伝えすることもありませんでしたが
今日、先週亡くなったハルモニの訃報が入ってきました。

3月9日
韓国の年で91歳になるユン・グムネハルモニが老衰で亡くなられました。

21歳で満州吉林に連行され
「慰安婦」という苦痛を味わったハルモニ。
ハルモニは歳月の流れとともに記憶を失い再び子どもにもどってしまわれていました。
すでに葬儀は終わり
ハルモニは天主教後援墓地に眠っています。

現在の日本軍「慰安婦」生存者は62名になります。
ハルモニの冥福をお祈りいたします。

ノ・スボクハルモニが永眠されました

今年の8月に行なわれた第10回アジア連帯会議に元気な姿で参加してくれました
タイ在住の日本軍「慰安婦」被害者ノ・スボクハルモニが永眠されました。
アジア連帯会議に私も出席したのですが、ノ・スボクハルモニは生活費を節約され
5万バーツを「日本地震被害朝鮮学校とともにする人々-モンダンヨンピル」に寄付
されたことを思い出します。
本当に時間がないことをひしひしと伝わってきます。日本にいる私たちにできることを
少しでも早く、少しでも多くの人に呼びかけて行動していきたいと思います。
心からのご冥福をお祈り申しあげます。
以下、韓国挺身隊問題対策協議会からの訃報です。(立石孝行)

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韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子です。

残念なお知らせです。
タイ居住の日本軍「慰安婦」被害者ノ・スボクハルモニが
11月4日享年91歳で亡くなられました。

ノ・スボクハルモニは
1921年に慶北安東で生まれ
1942年に釜山へ連行され
シンガポールとタイなどで日本軍「慰安婦」として苦痛を味わいました。
日本の敗戦とともに国連軍捕虜収容所に収容され
故郷にも帰れずタイに定住されました。

ハルモニは
1984年に駐タイ韓国大使館を通じて韓国にいる家族の捜索を要請し
同年、40年ぶりに家族をたずねてタイの家族とともに故国を訪問しました。

1991年に再び韓国を訪問した後
今年2011年8月
10年ぶりに挺対協の招請で第10回日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議
参加と3度目の故国訪問をされました。

自身の誕生日も忘れてしまったハルモニは
解放記念日の8月15日を誕生日にし
母国語を忘れてしまっても
故郷の住所だけは韓国語ではっきりと覚えており
その姿に
先日の訪問時には多くの人々が心を痛めました。
また
節約してためていた生活費5万バーツを
「日本地震被害朝鮮学校とともにする人々-モンダンヨンピル」に寄付し
熱い感動を呼びました。

再びタイにもどったハルモニは健康に過ごしていましたが
老衰で昨日夕方にこの世を去られました。
ノ・スボクハルモニの最期が寂しくないよう
皆さんも冥福をお祈りください。

訃報です

先月13日に江華(カンファ)に、くらしていたクォンハルモニが
他界されました。今年になってたくさんのハルモニたちが他界され、
日本軍「慰安婦」生存者は66名となりました。悲しい事実です。
ご冥福をお祈り申し上げます。
以下、韓国挺身隊問題対策協議会からの訃報です。(立石孝行)

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皆さま

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子です。

10月13日に江華(カンファ)に暮らしていたクォンハルモニが亡くなられました。
来週に訪問しようと家族に連絡したところ
すでに亡くなられていることがわかりました。

16歳で結婚式の途中に
新婦姿のまま連れ去られたクォンハルモニ。

辛い慰安所での生活を経て
解放(終戦)後に韓国に戻ってきましたが
家族のもとにも帰れず
筆舌に尽くしがたい人生を送り
88歳でこの世を去られました。

ハルモニの冥福を祈ります。
あの世ではどうか自由に飛べることを願っています。

韓国の日本軍「慰安婦」生存者は66名となりました。

訃報です

 今回のキム・オスンハルモニの訃報で「被害者」として名乗りでた
ハルモニも234名中68名の生存となりました。
 先日、韓国憲法裁判所の宣告を受け、韓国政府が15日、日本政府に
二国間協議提案を行ないました。しかし、日本政府は「1965年の国交
正常化時に、請求権問題は法的に解決したという基本的立場に変わりはない」
という立場を明らかにしました。21日には国連総連で李明博大領領が
野田総理大臣と首脳会談を行なわれます。
 これらの動きを前向きにとらえ、これまでと同じ流れにならないよう、
できることを考え行動し、早期解決の道を見つけていきましょう。
心からご冥福をお祈り申しあげます。
以下、韓国挺身隊問題対策協議会からの訃報です(立石孝行)

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皆さま

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子です。

9月18日、大田(テジョン)に暮らしていたキム・オスンハルモニが亡くなられました。

故キム・オスンハルモニは
1927年に慶尚北道サンジュで生まれ
1943年に親戚の家に向かう途中で連行され
中国ハルピンで日本軍「慰安婦」という苦しみを味わいました。

日本の敗戦とともに帰国しましたがすでに母も死亡しており
結局釜山(プサン)などを転々としながら暮らしました。

その後現在まで大田に住んでいたハルモニは
最近老人専門病院に入院し
昨日は夕食もとられましたが
胸が苦しいと訴えて夕方7時30分ごろに亡くなられました。

ハルモニの冥福を祈ります。

葬儀後、ハルモニは天安(チョナン)の望郷の丘で先に亡くなった夫と合葬される予定です。

訃報が届きました

先日、第10回アジア連帯会議が行なわれ、「~記憶、教育、そして連帯~」という
テーマで、決議文および行動計画も確認しました。
そんな中、浦項(ポハン)にくらしていたキムハルモニが16日に他界されました。
心からのご冥福を申しあげます。
以下、韓国挺身隊問題対策協議会からの訃報です。(立石孝行)

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皆さま

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子です。

台湾から訃報が伝わり
胸を痛めていたところ
遅れて韓国の被害者の訃報が入ってきました。

浦項(ポハン)に暮らしていたキムハルモニが8月16日に亡くなられました。

本名は明かせませんが
ハルモニは
1926年に生まれ
18歳で生産工場職員募集に騙され
中国に連れて行かれました。
解放後には韓国へ帰ってきましたが
日本軍「慰安婦」被害者だという事実を生涯隠したまま生きてきました。

7月初めに入院し肺炎の治療を受けていましたが大変苦しそうでした。
1ヶ月間重患者室と救急室を行き来し治療を受けましたが
8月16日に目を閉じられました。

最後の姿は安らかで美しかったそうです。
ハルモニは火葬され先に亡くなったハラボジがよく登っていたという山に埋葬されました。
あの世では翼を広げ自由に羽ばたいていることでしょう。

これで韓国の生存者は69名となりました。

ハルモニの冥福をお祈りください。

訃報

今年、1月4日が最初のブログスタートでした。
その時、生存しているハルモニは78名とお伝えしましたが、
今回のイ・ボクスンハルモニの訃報で70名になりました。
この半年で8名ものハルモニが他界しています。

教科書の記述に関する内容も改悪の方向に進みつつあります。歪曲された
過去の歴史を、未来へ真実を伝えて、ハルモニたちに謝罪の言葉が聞いて
いただくことができるよう一日も早く、早期解決に向けた日本政府への
働きかけを強化していきましょう。

心からご冥福をお祈りします。
以下、韓国挺身隊問題対策協議会からの転送です。 (立石孝行)

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皆さま

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子です。

日本軍「慰安婦」被害者の訃報をお知らせします。
6月20日に馬山(マサン)で暮らしていたイ・ボクスンハルモニが享年90歳で亡くなられました。

1923年に慶尚南道昌寧で生まれたハルモニは
1940年に連行され中国の慰安所で「慰安婦」生活を強いられました。
終戦とともに帰国しテグで過ごし
その後故郷にもどって弟夫婦と暮らしていましたが
夫婦が亡くなり
ここ10年ほどは療養院に入っていました。
5~6年前から体調を崩し
20日前頃から危篤となり老衰で亡くなられました。

韓国の日本軍「慰安婦」生存者は70名となってしまいました。

日本からもハルモニの冥福をお祈りください。

訃報

先日、朴玉蓮(パク オンリョン)ハルモニの訃報をお伝え
しましたが、韓国挺身隊問題対策協議会からも訃報が届き
ました。日本軍「慰安婦」として名乗り出ているハルモニは
71名となりました。 
一日も早く、早期解決し、一人でも多くのハルモニの喜ぶ顔を・・・。
心からご冥福をお祈りします。(立石孝行)

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皆さま

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子です。

先の週末から
日本軍「慰安婦」被害者が続けて2名亡くなられました。

5月15日(日)午前
ナヌムの家で暮らしていたパク・オンニョンハルモニが入院先の病院で亡くなられました。
苦労とともに過ごした日本軍「慰安婦」被害者としての人生をこの世において
これからは一羽の蝶になって自由に飛んでいかれることでしょう。
出棺は17日に執り行われました。
詳しいことはすでにナヌムの家から報告されている通りです。

5月17日(火)明け方6時ごろ
釜山に居住していたチョン・マリアハルモニが亡くなられました。
前回会った時は健康な姿でしたが
最近になって体調を崩されたそうです。
90歳を超えても社会情勢に詳しい方でした。
18日午後1時に火葬され天主教公園墓地に埋葬されました。

韓国の日本軍「慰安婦」被害登録者234人のうち71名だけが生存されていることになりました。
お二人の冥福をお祈りください。

ナヌムの家、朴玉蓮ハルモニが亡くなりました

岡山のなかまを通じて、韓国のなかまから訃報が届きました。
心よりご冥福をお祈りいたします(立石孝行)

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ナヌムの家にて創立期から生活なされてきた
朴玉蓮(パク オンリョン)ハルモニが日曜日の午前09時15分に
亡くなられました。
1919年全羅北道茂朱郡で生まれ、今年で93歳でした。

先週火曜ほどに体調を崩され病院に入院していました。
一時は危篤になり心配だったのですが、その後はもち直された
聞いていました。
玉蓮ハルモニは楊平郡のキル病院に安置されておられます。

葬儀などはまだ分かりません。
詳しいことが分かり次第、またご連絡差し上げます。

訃報です

韓国挺身隊問題対策協議会より訃報が届きました。
全羅南道にくらしていたシン・サンシムハルモニが
他界されました。
今月にはいり、二人目の訃報です。悲しみとあせりが
入り混じった気持ちでいっぱいです。心からご冥福を
お祈りします。
以下、韓国挺身隊問題対策協議会からの文書です。(立石孝行)
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皆さま

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子です。

3月21日に全羅南道に暮らしていたシン・サンシムハルモニが亡くなられました。

ハルモニは1927年に全南に生まれ
1944年、18歳で木浦市場で連行された後
長崎県佐世保海軍慰安所で日本軍「慰安婦」生活を強要されました。
解放(終戦)と同時に輸送船に乗って麗水港に帰国し故郷に定着しました。
1992年に日本軍「慰安婦」被害者として申告しました。

ハルモニの最期の道に
日本からも冥福をお祈りください。
私たちのそばにいるハルモニは73人となりました。

「ハルモニ、安らかにお眠りください」

訃報です

3月6日(日)の夕方にチャン・ジョムドルハルモニが他界されました。
これで74名となってしまいました。なんとしても20年目の今年に
日本で大きな動きができるように行動していきましょう。
ご冥福をお祈り申しあげます(立石孝行)
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皆さま

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子です。

昨日(3月6日)夕方にチャン・ジョムドルハルモニが亡くなられました。

ハルモニは
1923年に忠清北道ヨンドンで生まれ
16歳のときに連行され
満州・シンガポールなどで日本軍「慰安婦」という苦痛を強いられました。
解放(終戦)後は慶尚道やソウルなどで過ごし
晩年は仁川に落ち着きました。

2001年に被害者登録をした後
日本政府に対し名誉と人権回復を求め多くの人々に真実を知らせるため
積極的に活動されました。
2006年にはオーストラリアとドイツで証言集会を
2007年にはカナダ議会決議採択の現場で証言活動をされました。

つらい状況でも正々堂々ときりりとした態度で臨むハルモニでしたが
最近健康が悪化し入院した後に気力が落ちてしまい
昨日亡くなられました。
先日病院で会ったハルモニはいつもと違い涙を見せつつも
温かい春になればどこかに出かけたり水曜デモにも来ると話していま
したが結局長い別れとなってしまいました。

ハルモニの冥福をお祈りください。
韓国の生存者は74人となりました。

「ハルモニ、安らかにお眠りください」

訃報です

2月にはいり韓国では旧正月を迎えましたが、
韓国挺身隊問題対策協議会より訃報が届きました。
ご冥福をお祈りいたします。(立石孝行)

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皆さま

先週に旧正月を迎えた韓国で
一人の日本軍「慰安婦」被害者がその生涯を終えられました。

2月3日午後5時ごろ慶尚北道霊泉(ヨンチョン)に暮らしていた
パク・プニハルモニ(91)が老衰で亡くなられました。

ハルモニは
1920年に慶北で生まれ
17歳ごろに日本に連れていかれました。
下関で過ごしていたところシンガポールに行くことになりました。
解放(終戦)前に韓国にもどり各地を転々としながら霊泉に定着し
甥姪を育てました。
ハルモニの事情を知っている里長のすすめで日本軍「慰安婦」として登録しました。

韓国の日本軍「慰安婦」被害者は75人のみとなりました。

ハルモニの逝く道がさみしくないよう
皆さんも冥福をお祈りください。

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子

訃報です

今年にはいり4人ものハルモニが他界されています。猶予のなさが
ひしひしと伝わってきます。 どちらのハルモニも地域は決議文を
可決している地方でした。日本でも引き続き意見書採択に向けた
運動を広げていかなくてはいけないと強く感じます。
ご冥福をお祈りします。

以下、韓国挺身隊問題対策協議会からの訃報です。(立石孝行)

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皆さま

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子です。

訃報が続いています。
1月13日に二人のハルモニが亡くなられました。
蔚山(ウルサン)キム・ソニハルモニと馬山(マサン)イム・ジョンジャハルモニです。

キム・ソニハルモニについては家族の意向で詳しいことはお知らせできません。

イム・ジョンジャハルモニは
1か月前から体調が悪化し重患者室で亡くなられました。
ハルモニは
1922年に生まれ
1938年に17歳で釜山近隣地域から満州へ連行され
8年間台湾・香港・大連・上海・ハルピンなどで日本軍「慰安婦」生活を強いられました。
解放(日本敗戦)後は1946年にピョンヤンの避難所を経て釜山に帰ってきました。
1958年からは馬山で暮らし
1996年に日本軍「慰安婦」被害者として申告しました。

昨年11月の東京での院内集会や大阪での集会に参加されたのでご存じの方も多いかと思います。

ハルモニたちの冥福をお祈りください。

Appendix

プロフィール

「慰安婦」問題の解決を考える会

Author:「慰安婦」問題の解決を考える会
「慰安婦」問題の解決を考える会

2008年8月3日、「シンポジウム/私たちに何ができるか~若者たちと考える『慰安婦問題』」を大阪市内で開催しました。約140名の方が集まり、熱い意見交換が行われる感動的な集まりとなりました。

集会後、もっとこの活動を続けたいとの声があがり、「「慰安婦」問題の解決に向けた意見書可決をすすめる会」を発足し、関西を中心に、地方自治体から国に対し問題解決を求める意見書可決をすすめる取り組みを行ってきました。

2015年12月28日、日韓両政府の間で「合意」が結ばれましたが、私たちはこれが被害者たちの尊厳を回復する解決であるとは考えません。これまで以上に「慰安婦」問題についてともに知り考える場をつくることを目指して、「「慰安婦」問題の解決を考える会」と名称を改め、学習会や講演会の企画を進めています。

このブログも、情報共有・意見交換の場としてお役に立てれば幸いです。

なお、コメントの紹介は承認制としています。管理者が、このフォーラムの趣旨にそわないと判断した場合には、これを表示しません。あらかじめご了解ください。

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