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4.25大阪集会、ヤンノジャさん講演メモ

 以下、ヤンノジャさんの講演についての手元のメモです。不完全ですが、当日の話の流れや力点などをご理解いただくために(石川)。

・キル・ウォノクハルモニが来れないにもかかわらず、たくさんの方が集まってくれて
・私は京都生まれの在日朝鮮人
・ハルモニ、腹痛で検査入院するが原因不明
・ハルモニが海外で証言することがいよいよ困難に、それを実感した
・アメリカ、EUなどでの決議には公聴会が重要な役割
・宝塚決議の前にも証言集会
・被害者ご本人以外の者が話をしていかねばならなくなってきている

キル・ウォノクハルモニの人生

・1998年に「慰安婦」を申告した、テレビを見ていた、日本で被害者が証言しているニュースが流れて、「私もそこでしゃべらなければ」とつぶやいた、横で聞いていた娘・息子が驚いてたずねた、3人で抱き合いながら、泣きながら話し合った、「おかあさん申告しよう」と
・水曜デモにも参加、日本の政治家の妄言にも立ち向かい
・証言をするようになったのはこの2~3年、それまでは話すことさえできなかった、残酷すぎて口に出せなかった
・いま234名申告、生存93名、そうなるにつれ「自分が話さなければ」と責任を感じるようになった

・つれていかれたのは13才、ピョンヤン生まれ、5人兄弟の3番目、植民地化で貧しい、知り合いのおばさんに「仕事を紹介する」といわれて「技術・食べ物・着るもの・自宅への送金」もいわれた、満州につれていかれた、畳が敷かれた部屋でレイプ、性病になって一度家に返される、ようやく直った時に「はなこ」と呼びかけられた、満州の「慰安所」にいたときの日本名、最初のおばさんにまたあった、二度目の「慰安婦」生活を中国で強いられた、3~4年ほど、毎日毎日からだを洗うヒマもないほど、下半身が傷つく、布団が血でまっかになることもあるが、それでも軍人は襲いかかった、それでもイヤがると殴られる、日本刀でアタマを切られて服が血だらけになり、それが皮膚にはりついたという記憶も

・戦後、現地に置き去りにされる、なんとか船にのって仁川にもどった、政府からにぎり飯1つとわずかのお金を与えられるが、すぐに故郷にかえることはできないと思い、飲み屋で歌を歌ったりしてくらした、そのあいだに朝鮮戦争で南北に分断され、その後、結局今日まで家族に会うことはできず
・結婚はしていないが32才のときに養子・息子をもらった、仕事をして育てた、忘れようとしたが忘れられなかった、20才の時には子宮をとる手術もしている、女としての幸せは何一つ味わえなかった、それを誰かに知られることがこわかったと

たくさんのハルモニたち

・被害申告によってある程度気持ちが解放される、ハルモニたちが集まる場で子どものように時間を楽しむ、それは昔はできなかった、歌がうまいと「慰安婦」と疑われるんじゃないか(深い猜疑心)
・証言者や活動家はすべてを克服した人ではない、まだまだ苦しみから逃れられていない方が多い
・韓国政府からハルモニに生活支援金が出ているが、「支援金」というな「月給」といえと(そう思い込みたい)

・85~90才が存命者の平均年齢、1年に15人くらいの方が亡くなっている、最大の心配は健康問題、高齢だけでなく、「慰安婦」時代の傷が、集会や証言の時間以外は力がない、精神的にも認知症にかかわりやすい
・Kハルモニ、気性のはげしい方だったが、数年前から認知症、釜山の療養院で暮らしている、メンバーがいっても顔がわからない、歩けなくなっている

・「ナヌムの家」には8人いる、中国に残っていて帰ってきた方が多い、「西大門刑務所」の近くに挺対協が運営するウリチプ(我が家)に3名、あと多くは1人暮らし、動けなくなれば横になったまま外へも出ず、それでもニュースなどを見ている、福岡市議会意見書のことなど良く知っている、そういうことで気力が出てくる、日本からもたくさんの気持ちを届けてほしい

・1人暮らしのハルモニをできるだけいっしょに暮らせるようにしたいが、他人を避ける、離婚、家族に排除されるなど、長く1人で生きざるを得なかった人が、いま年をとったからといっていっしょに住めるものではない、他人との関係がむずかしい

09年にどういう活動をしていくか

・世界各国からの圧力を、6月にはILO総会――29号強制労働の禁止に反するとしてこれまでも勧告が何度も出ているが、ハルモニが遠くにいくこと・証言にエネルギーをつかうことが困難になってきている
・7月、2年前の7月30日にアメリカで決議採択、その2周年をアメリカでシンポやセミナー、ワシントン挺対協委員会がある

・韓国では、4月9日に憲法裁判所で公開弁論が行われた、「慰安婦」問題解決の流れの一環として、日本政府――国と国とのあいだの請求権は決着済み・個人の補償は行い得ない、それは1965年の日韓協定によっている、日韓請求権ならびに経済協力協定――植民地支配などの歴史問題の清算をさだめた協定、韓国も軍事独裁政権、日本からカネをもらえば請求権を放棄するという姿勢、強制徴用・「慰安婦」・被爆者・在日同胞の戦後補償などが認識されないままに、この協定を見直そう、2002年文書を公開せよという取り組みを、2005年韓国政府は公開した、政府――強制動員の被害者への対策を推進すると同時に語った、日本政府が行った反人道的な行為は請求を放棄していないと述べた、しかし、それを日本政府に強く伝えていない、そこで韓国憲法の幸福権にもとづいて韓国政府がこれに反しているのではないかと訴訟を2006年に起こした、当時の被害者109人が請求人(いまは84人)になって、ようやく今年公開弁論が行われることになった

・韓国政府は国会決議はあげているが、実際には行動しない、それをどう動かすかという取り組み
・自分たちの問題だけが解決すればいいのでなく、次の世代、子どもたちが同じ残酷な目にあわないように、世界中の女性が幸せに暮らせるように(ハルモニ)、それを行動に移すバトンがわれわれに手渡されている、日本社会で行われていることも同じもの、自治体・国家の決議と行動を求める取り組みも、それには韓国からも協力したい、しかし主体は日本人、ハルモニたちの取り組みの動向を注視している
・いっしょに力をあわせたい

・韓国挺対協90年設立当時から7つの目標、その1つに追悼費あるいは博物館をつくるというのがある、本格的に博物館の取り組みが進んでいる、09年3月8日戦争と人権博物館の起工式が行われた、未来のためにも現代の女性に対する暴力をなくしていくためにも博物館は重要、これからの募金が大切、韓国政府は支援法をつくっているがハルモニたちが真に求める博物館には金を出さないことを決めた、大きな企業はうちの企業は「慰安婦」のイメージとあわない「汚れた女」という理解で遠慮すると
・金だけでなく社会の中の偏見、独立公園につくるが、遺族会もそこに建てることに反対している、独立運動をした人と「慰安婦」では格が違い、聖域に入るな、オジイサンたちのデモが起こるくらいに


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鎮魂歌、ビデオレター、ハルモニたちの状況、そして総選挙・・・

 昨日、吹田市立男女共同参画センターで開かれた〈「慰安婦」問題の真実を知ろう 4.26北摂証言集会〉に参加してきました。

会場


 集会はまず、これまでに亡くなられた被害者の方々に黙祷を捧げて始まり、「志遠(チウォン)」という2002年に結成された音楽ユニットの一人の方が「慰安婦」被害者に捧げる「鎮魂歌」を披露されました。とても情感込めて歌われたいい歌で印象に残りました。

志遠


 主催者あいさつの後、まず3本のDVDを観ました。1つは『忘れてはならない、絶対に―彼女たちの物語』。これは初めて見た内容でした。被害者たちの立ち上がりから現在までが映像効果を凝らしながらも簡潔にまとめられています。2つ目はキルウォノクハルモニが日本の国会議員向けの公聴会で証言した内容のビデオでした。

 3つ目が当初来日予定であった吉元玉(キルウォノク)ハルモニが体調を崩されて来られなかったため、水曜集会に参加された折りに映されたビデオレターを観ました。その中のハルモニは明るく笑いもある表情だったのですが、ちょっと心配です。

 続いて韓国挺身隊問題対策協議会幹事のヤンノジャ(梁路子)さんからハルモニたちの様子や現在の運動の状況、今後の予定などの報告がありました。

ヤンさん


「ハルモニたちの状態を考えると、いよいよ被害者本人たちに代わって、私たちが運動を引き継ぐ時期になった」

「日本では『慰安婦』問題を劇にしたり、歌にしたりして運動が広がってきていることがうれしい」

「被害者には臆病な人もいるが、抱えている想いを一つひとつ解きほぐしながら今日までやって来た。キルウォノクハルモニもそうした方だったが、今では被害者の先頭に立って世界中を駆け回るほどになられた」

「ハルモニたちの高齢化が進み、近年では毎年15人ぐらいの被害者が亡くなっている。養老院に入りスタッフの顔も忘れるなどの認知症になったり、かつての元気な体が半分ほどになってしまったハルモニも…」

「ナヌムの家には8人が共同で住んでいるが、多くのハルモニはさまざまな事情で一人暮らしをしている。人の手助けが必要な人が多い。でもなかなかスタッフが訪問したりするのにも時間がかかる。何年も続けて独居なので、他人との関係を作り上げるのが難しい面もある」

「今後の予定では、6月にILO29条の強制労働禁止条項に関する取り組み、7月にはアメリカでの決議2周年での行事…など様々な予定があるが、これらにハルモニたちが参加出来るかどうかがある。体力も必要、移動距離も大きい。その上に自分のことを話すというのは大変な気力が必要になる」

「韓国では先日公開討論を行い、韓国憲法裁判所に名誉回復、日韓条約の見直しを明らかにせよと提訴しているが、日本の自治体での意見書採択の運動同様に簡単に進む状況にはない」

「ハルモニたちは日本の状況に注目している。ニュースをよく見るので自治体での意見書決議にも注目している」(以上、発言要旨文責・丸尾)

 その後休憩をはさんで、戸塚悦朗さん(龍谷大学法科大学院教授)からは、「慰安婦」問題解決のための立法に向けての展望が語られました。私は質問用紙に「野党がこの問題の解決を選挙公約に掲げて選挙をたたかう、その見通しはどうなのか、どこまでやる気があるのか」と書き提出しました。

 戸塚さんは、焦眉の課題は、来る総選挙で与野党逆転を勝ち取り、そのもとでの新たな政権が立法を提案することができるかどうか、そのために何よりも主権者である私たちがどれだけこの問題解決を彼らに認識させて、実行を迫ることができるかがカギであると強調されました。

 今度の総選挙は、「慰安婦」問題解決に向けたラストチャンスとなるのか? いよいよ時間がなくなっているハルモニたちに対して、一刻も早くこの国は責任を果たさねばならない。そのためにできることをしていかねば思い新たにした集会でした。(丸ちゃん)

大阪市会で日本軍『慰安婦』問題の解決を求める意見書を可決させよう!     4.24大阪証言の集い 大盛況でした

昨日「大阪市会で日本軍『慰安婦』問題の解決を求める意見書を可決させよう! 
4.24大阪証言の集い」が中之島公会堂 3階小会議室で行なわれました。

開始からすでに会場がいっぱいになり、前回の2・26集会を上回る152名の
参加でした。チンチャ・コリアバンドによるイムジン川の歌があり、続いて、韓国
挺身隊問題対策協議会が製作した「忘れてはならない、絶対に 彼女たちの
物語」の上映が行われました。映像の中には、お亡くなりになられたハルモニが
何人も証言されており、時間の猶予が無い緊迫感が漂う中身でした。DVDとして
会場で販売しており、「戦争と女性の人権博物館」建設の費用にあります。

今回、体調不良のために来日できなかった、キル・ウォノクハルモニからのビデオ
レターの上映があり、元気な姿をうかがうことができました(本当によかった!)。
挺対協の梁路子(ヤン・ノジャ)さんからは、キル・ウォノクハルモニが、敗戦後
どのように過ごされてきたのか、証言者になられたきっかけ、また高齢化がすすむ
ハルモニたちが気力でとりくんでいることなど話していただき、6月にはILO総会、
7月にはワシントン挺対協と米国シンポジウムに望むと今後の行動提起など
熱い想いが伝わる講演でした。

キル・ウォノクハルモニが今回、来日できなかったことは残念でしたが、大阪市会で
意見書を可決させる大きな力となった集会でした。(立石孝行)

本日、大阪証言集会

続きを読む

4月24日からの証言集会について

当日は日本軍「慰安婦」被害女性のキル・ウォノク ハルモニの来阪を予定していましたが、
この間お知らせさせていただきましたように体調がすぐれず、この3日間はハルモニと
一緒に来ていただく予定だった挺対協スタッフのヤン・ノジャさんよりハルモニの近況や
国内の運動状況など話していただきます。
再度、日時、場所をお知らせします。お誘いのうえ、たくさんのご参加お待ちしております。

●4・24大阪市証言集会
 とき:4月24日(金)6時半から
 ところ:中央公会堂 三階小会議室にて
 参加費:800円
 主催:大阪市議会で日本軍「慰安婦」問題の早期解決をめざす意見書を可決させる会

●4・25尼崎証言集会
 とき:4月25日(土)午後2時~午後4時
 ところ:尼崎市立中央公民館大ホール
 資料代:500円
 主催:日本軍「慰安婦」被害女性と共に歩む大阪・神戸・阪神連絡会
 
●4・26北摂証言集会
 とき:4月26日(日)午後2時~ (午後1時半開場)
 ところ:吹田市立男女共同参画センター デュオ 2F研修室
     (JR吹田駅・阪急吹田駅から徒歩10分)
 資料代:500円
 主催:「慰安婦」問題の解決を求める北摂ネットワーク


立石孝行

平和とハルモニたちとの交流の旅2

 前の記事で紹介のあった「平和と交流の旅」に私も行ってきました。ナヌムの家では、体調のお悪いハルモニが多いと聞いていたので、お会いするのは難しいだろうと思っていたのですが、お邪魔することができ、短時間ながら交流することができました。ハルモニたちが本当に温かい笑顔で迎えてくださいました。研究員の村山さんや日本からのボランティアの方々はじめ、信頼を得るための努力と草の根の交流のうえにあることだと感謝しています。
 翌日、水曜デモにも参加し、「事実を伝えない教科書が採択される現実を変えられていないことを申し訳なく思います」「わたしたちが事実を伝え、日本政府に謝罪させるまでがんばります」と決意をつたえてきました。以下、参加者の感想の一部をご紹介します。(大森)


○最も関心のあった「従軍慰安婦」のナヌムの家の訪問は、ハルモニたちが笑顔で暖かく迎えてくださって感激でした。日本軍の犯した彼女たちへの罪をどう償っていくか考えさせられました。何としても日本政府に謝罪させ記念碑をつくらせたいと思います。水曜デモにも参加させてもらいましたが、ハルモニたちは高齢にもかかわらず雨の中を元気に歌ったりシュプレヒコールをされていました。私たちも10名で横断幕をもってごあいさつをさせていただきました。日本大使館の警官のバリケードの立ちはだかる前での行動でした。
これからもハルモニたちにはお元気で長生きしていただきたいと思いました。

韓国1

韓国8

○ハルモニたちの表情が明るいのが嬉しかったです。つらい前半生を送られて、その後もつらい思いをしてこられたのだろうと思うと救われる思いでした。
講和条約で法的な問題は解決したとの立場にこだわるのでなく、日本政府がアジア諸国の国民にたいへんなひどいことをしたことについて謝罪することが今こそ急がれていると思います。

韓国9

○韓国の人達が独立闘争で犠牲になった人たちを顕彰することは「反日教育」ではないと思います。日本人はしっかりその過去の事実をうけとめた上で、将来の両国の友好をどう築き上げていくか考えないといけないと思います。
「慰安婦」たちの日本政府の謝罪と補償の要求を支持したいと思います。

韓国10

○「笑いながら・・順番待ちをする日本兵たち」とある写真を見て、明るい昼間から並んでいたのか、と不思議に思っていたが、ナヌムの家歴史館で、「営(旧字)業時間及び料金表」という掲示を見てそうだったのかと初めて知り納得した。

韓国13

○おそらく日韓における歴史認識の違いはそう簡単にはミゾはチヂまないだろうと思います。そういう中で「ナヌム」の家に日本人が世話していることは日韓交流に大きなプラス要因になるので感心しました。

韓国12

韓国14

○一度は訪れたいと思っていた「ナヌムの家」を訪問することができました。ハルモニたちがボランティアの人や市の職員の人たちに大切にお世話されていることを知ってうれしかったです。
 加害の国から行った私たちを暖かく受け入れてくださって「ありがとう」と言っていただきました。心が広いと思います。
 水曜集会にも参加できてよかったです。冷たい雨の中、高齢のハルモニたちが日本政府への怒りで座り込んでいらっしゃるのが辛かったです。雨の日も炎暑の日も毎週がんばっていらっしゃるのですね。ほんとに、私たちの、日本政府を早く変えたいです。早くゆっくり休んでいただきたいです。

韓国4

韓国15

○日本軍から性的犠牲を受け、告発された方で(67歳で亡くなられた)カン・ドッキョンさんの「日本政府は後のことも考えずに大きな罪を犯してきた」「責任者を処罰せよ、民間の賠償を拒否する」という、発言をビデオで見て、強烈な印象を受けました。
 今現在も、日本政府は事実を認めようとしませんが、巷のいろいろな声もまた事実を知っての発言ではありません。こどもを生み、育てる母性の立場で、この問題と立ち向かってみてもらいたい、できるだけ多くの人に訴えていきたいと思いました。
 3日目の日本大使館前でのハルモニたちの抗議集会に参加して、日本にも来られたイ・ヨンスさんの堂々とした姿に触れ、一緒にお食事も目の前でして80才以上には見えない、若さとパワーももらいました。他の方も雨の日も雪の日も毎週水曜日に来られている。17年間続けてこられたそうで、活動の生半可でない、いのちの重みを感じました。

韓国5


○2泊3日と短い日程ながら、戦争、平和、人権を考える密度の濃い旅でした。戦後60年以上経っているのにいまだに戦後処理ができておらず、日本政府、日本軍の犯した罪ゆえに自分の人生をガタガタにされた方々、本当に申し訳ない思いです。日本大使館の存在がとても恥ずかしいです。大使館で働いている人たち(日本人)はどんな思いでハルモニたちの抗議を聞いているのでしょう。人間としての気持ちが多少でもあるならば、それに反して働いているのでしょうか。同じ人間で大使館(日本政府)の人たちと村山一兵さんのこの心のひらき!どうか歩み寄れるトキが早く来て欲しいと思います。

韓国7


「平和とハルモニたちとの交流の旅」

 「平和とハルモニたちとの交流の旅」に参加されてきた西川さんから、メールで旅の様子のご報告をいただきました。

 ご本人の了解を得て、こちらに転載しておきます。(石川)

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みなさま

 BCCでご報告します。出発前ににお知らせしましたが、4月13日~15日の2泊3日、韓国に「平和とハルモニたちとの交流の旅」をしてきたご報告をします。これまで、神戸で「慰安婦」にされたという戦時性暴力の被害者を招いて、2回の証言集会や映画会など、「慰安婦」問題の解決をめざして活動してきましたが、今回は、こちらから韓国のハルモニ(おばあさん)たちに会って連帯の気持ちを表そうという旅でした。

 参加者は40代からの熟年者の10人でした。6人の方が韓国初訪問でした。

 初日は、関空を飛び立って、あっという間に、午後1時頃には北朝鮮との国境の統一展望台に立っていました。

 そこの平和の塔の前では、北に家族や親戚をもつ人々の一団が統一を願ってお祈りとお祭のようなつどいをしていました。片言の日本語と韓国語できさくに声をかけてくださるおじさんやおばさんたちと言葉を交わすなかで、朝鮮半島の人々の切実な統一への願いを実感しました。また、朝鮮戦争で捕虜交換をしたという「自由の橋」を訪れました。

 日本では、ロケット発射問題で北朝鮮の非難がうずまくな中での韓国の人々の思いを知ることができました。
 
 さらに北朝鮮との間、最短400メートルのイムジン川を隔てた「臨津閣(イムジン閣)」では、曇ってはいましたが、北朝鮮の開城(ケソン)が見えました。こんなにも近いとなりの国の実情と日本との関係に複雑な思いをしました。ここではもと音楽の先生だったという方のリードで「イムジ川」の歌を合唱しました。

 2日目は、太平洋戦争末期、「慰安婦」として強制的に連行され性暴力をうけた女性たちが暮らしている「ナヌム(分かち合い)の家」を訪問し、併設の歴史資料館を見学しました。日本の青年で歴史館研究員の村山一平さんの案内で説明を聞き、「慰安所」の部屋が再現されている所も見て、戦時中、国家が犯した人道に反する罪の大きさを目の当たりにして言葉が出ない思いでした。

 そのあと、ハルモニたちが生活しているお家を訪れましたが、突然の訪問にも暖かく迎えてくださり、短時間でしたが、記念写真や心ばかりのお土産などを手渡して、翌日の水曜デモでの再会を約束してお別れしました。もっと、時間があればお食事などもご一緒にさせていただいてゆっくりお話しが出来たのにと、残念な思いと準備不足を反省しました。ナヌムの家には、今は8人が暮らしておられました。

 そこに、東京と新潟から2人の60代の女性がボランチアで住み込んでおられたことに驚きましたが、お話しを聞くと「慰安婦問題を知った限り、何かをしなくては気がすまないので」ということでした。
その後、ソウルにある西大門刑務所公園を訪れ、植民地下での日本軍の朝鮮人弾圧の生々しい傷跡を見ました。その公園内に「慰安婦」問題を歴史に残すため「戦争と人権博物館」が建てられようとしていました。

 高齢になった女性たちが次々と亡くなる中で、後世に歴史の事実を知らし、2度と同じ過ちが繰り替えされないように、との願いから建設されるもので日本からもたくさんのカンパがよせられています。
3日目は、世界文化遺産の「昌徳宮」の見学、青葉が美しい広大な庭を散策しました。が、ここにも日本の侵略の歴史が色濃く反映していました。「チャングムの誓い」のドラマ撮影にも使われたところですが、本殿の「景福宮」が豊臣秀吉の朝鮮侵略によって焼き壊されたあと、再建されるまで、王様が政務をしたという離宮です。

 12時からは、日本大使館前で17年間も毎週水曜日に行なわれている抗議集会に参加しました。折悪しく雨が降り出しましたが、80~90才にもなるハルモニたち8人もカッパを着て最後まで参加されておられました。私たちはコピー用紙を張り合わせて「日本政府は謝罪せよ!兵庫」という即席のプラカードをつくってハルモニたちの後ろに並んで向かいの大使館に抗議しました。

 大使館前には、韓国の若い警察官が10数人たって、ガードしていました。大使館の窓は閉ざされていましたが、1か所だけブラインドがあけられていたのでそこから、眺めていたと思われます。この17年間、日本の大使は、このハルモニたちの抗議の声をどんな思いで聞いているのだろうか。厚生省にちゃんと届けているのだろうか、と思いました。

 1時間ほどの集会後、近くの大衆食堂でハルモニたちと一緒に食事をして交流しました。私たちのほかにもアメリカ人と思われる青年や京都から来ている留学生の支援者なども参加していました。この水曜デモには、神戸女学院や日本からも若い人たちが参加している、ということは聞いていましたが、私たちのような熟年者の参加はめずらしいのではないかと思われました。

 神戸に来られたイ・ヨンスさんとも手を握り合い再会を喜びましたが、お別れのとき、イ・ヨンスさんは「200才まで生きて頑張るから!」と元気に叫んで手をふられました。

 2泊3日の短い旅行でしたが、とても内容の濃い旅行でした。大変重いものを背負ったような気がする、と参加者の感想が寄せられています。「百聞は一見にしかず」といいますが、参加者の皆さんが「参加してよかった」と喜んでくださったので、準備不足はありましたが、企画したことが成功だったと主催者としても喜んでいます。

 簡単ですがご報告とします。 西川 幸

【緊急】4・24証言集会に関するお知らせ

残念なお知らせです。
実は、24日に来阪を予定していたキル・ウォノクハルモニですが、体調がすぐれないようで、
今回は来ていただけなくなりました。25日以降の集会含め調整中です。
内容が確定しましたら、お知らせします。 (立石)

キル・ウォノクさん証言集会

先日の記事で、24日の大阪での集会の案内をしてくださっていますが、キル・ウォノクさ
んは、続けて尼崎、吹田でも証言されるようです。以下、ご案内です(大森)

●4・25尼崎証言集会
 とき:4月25日(土)午後2時~午後4時
 ところ:尼崎市立中央公民館大ホール
 資料代:500円
 主催:日本軍「慰安婦」被害女性と共に歩む大阪・神戸・阪神連絡会
 
■4・26北摂証言集会
 とき:4月26日(日)午後2時~ (午後1時半開場)
 ところ:吹田市立男女共同参画センター デュオ 2F研修室
     (JR吹田駅・阪急吹田駅から徒歩10分)
 資料代:500円
 主催:「慰安婦」問題の解決を求める北摂ネットワーク

Appendix

プロフィール

「慰安婦」問題の解決に向けた意見書可決をすすめる会

Author:「慰安婦」問題の解決に向けた意見書可決をすすめる会
・・・
2008年8月3日、「シンポジウム/私たちに何ができるか~若者たちと考える『慰安婦問題』」を大阪市内で開催しました。140名近くの方にお集まりいただき、熱い意見交換が行われる感動的な集まりとなりました。集会後、もっとこの活動を続けたいとの声があがり、このblogの立ち上げに至ったものです。

現在は、関西を中心に、国に慰安婦」問題の解決を求める地方自治体からの意見書可決をすすめる取り組みを行っています。

本blogが、「慰安婦」問題の解決に向けた情報・意見の場としてお役に立てれば幸いです。

なお、コメントの紹介は承認制としています。管理者が、このフォーラムの趣旨にそわないと判断した場合には、これを表示しません。あらかじめご了解ください)

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