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平和碑見てきました

12月14日に建立した「平和碑」。25日に見てきました。
とても寒い日でしたが関係者の方たちでしょうか、帽子やマフラーを
着せていました。ちょっとクリスマスバージョン?みたいでした。
官公庁なので人通りは少なかったのですが、横切る車やタクシーは
徐行や一旦停止をして見て行ってるのが印象的でした。
2枚目は影がハルモニに見える写真です。
日本政府は即時撤去の弁を述べていますが、これから24時間、平和碑が
日本大使館を見続けています。心を入れ替えるその日まで。(立石孝行)

平和碑
ハルモニの影
平和碑②
視線の先に日本大使館
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1001回目の水曜デモが行なわれました。

1000回水曜デモ後に、首脳会議なども行なわれましたが
残念ながら 具体的な解決策が出ない状況をむかえ1001回目の
水曜デモが行なわれました。
たくさんの方が集会に参加したようですが、1回でも早く終結できる
よう私たちも運動を進めなければなりません。
以下、ソウル聯合ニュースです。 (立石孝行)

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慰安婦問題訴える水曜集会 1001回目開く
2011/12/21 20:38 KST
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/12/21/0200000000AJP20111221003600882.HTML

【ソウル聯合ニュース】旧日本軍による慰安婦強制動員問題の解決を求め、
韓国挺身隊問題対策協議会が毎週水曜日に行っている「水曜集会」が21日、
ソウルの日本大使館前で開かれた。

 今月14日で1000回を迎え、この日は1001回目となった。元慰安婦の
キム・ボクドンさん(85)、キル・ウォンオクさん(84)、民主統合党の
丁世均(チョン・セギュン)議員を含む国会議員、宗教関係者ら300人余りが
参加した。

 同協議会は、日本政府が日本大使館前に設置された「平和の碑」の撤去を求めた
ことに触れ、「依然反省する様子はない」と指摘し、謝罪と被害補償を求めた。

 協議会関係者は、「日本側が反発しているが、撤去するつもりはまったくない。
1001回を迎え、新たに始まるとの気持ちで、日本が責任ある姿勢を示すまで
水曜集会を続ける」と話した。

日本軍「慰安婦」とユダヤ人虐殺生存者が対面

1000回水曜デモのときにニューヨークのホロコーストに招待された、
イ・ヨンスハルモニとイ・オクソンハルモニの紹介がありました。

ホロコースト生存者のハンネ・リーブマンさんの「ドイツ軍も若い女性たちを
戦場に引っ張っていったが、戦争で犯した罪に対し謝った。日本は過去の過ちを
認め謝罪しなければならない」という言葉に、今の日本政府の対応に
心底苛立ちを感じます。以下、中央日報記事です。(立石孝行)

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元「慰安婦」とユダヤ人虐殺生存者が対面 (12月15日)中央日報
従軍慰安婦とユダヤ人虐殺生存者が互いに慰労

         「お姉さん!うれしいです」

13日にニューヨークのクィーンズボローコミュニティカレッジ(QCC)劇場では特別な
出会いがあった。韓国からきた2人の日本軍慰安婦とナチスのユダヤ人大虐殺生存者が熱く
抱擁した。日本軍慰安婦問題に抗議してソウルで行われた1000回目の水曜集会に合わせ
ニューヨークの韓人有権者センター(KAVC)とQCC内ホロコーストセンター
(ナチスのユダヤ人虐殺記念館)が設けた行事でだ。

生まれて初めて会ったが2人は抱擁してお互いの顔をさわりながら戦争犯罪で負った傷を
慰めた。58年前に雪原で一家処刑を目撃したエデル・カッツさん(89)はイ・ヨンスさん
(83)の頬をさすり、「人生で成し遂げなくてはならない目標を持って努力すれば彼ら
(日本)に勝つ力を得ることができる」として励ました。この日はイ・ヨンスさんの83回目の
誕生日でもあった。

初めての証言に出たイ・ヨンスさんは、「15歳の時に台湾の神風部隊に連れて行かれあらゆる
拷問に遭いほとんど死ぬところだった。一緒に連れて行かれた他の女性2人は死んだ」と涙声で
話した。続けてイ・オクソンさん(84)は、「日本軍は11歳の子どもまで引っ張っていった。
11歳が金を儲けるために日本軍慰安婦になったという日本の主張は真っ赤な嘘」と証言した。

ホロコースト生存者のハンネ・リーブマンさん(87)は、「ドイツ軍も若い女性たちを戦場に
引っ張っていったが、戦争で犯した罪に対し謝った。日本は過去の過ちを認め謝罪しなければ
ならない」と強調した。

有権者センターとホロコーストセンターはこの日出席者から署名を受けた請願書と米国政治家の
請願動画を16日に国連駐在日本代表部に伝達する予定だ。ホロコーストセンターのアーサー・
フルーグ所長は、「きょう証言を盛り込んだ教材を作り来年から米全域の中学高校に配布する
計画」としながら慰安婦らの証言を収録するインターンシッププログラムも紹介した。


2011年12月15日11時48分 中央日報/中央日報日本語版
 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://japanese.joins.com/article/495/146495.html?servcode=A00§code=A10


第1000回日本軍「慰安婦」問題解決のための定期水曜デモ声明

14日ソウル日本大使館前で行なわれた、第1000回日本軍「慰安婦」問題解決のための
定期水曜デモの声明です。1001回、1002回と集会を増さないためにも行動あるのみ。
以下。声明文です。(立石孝行)

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第1000回日本軍「慰安婦」問題解決のための定期水曜デモ声明

1992年1月8日、あの日から20年間、駐韓日本大使館前では寒波を突き破り、日本軍「慰安婦」問題の解決を求める声が響き渡った。その最初の叫びを1000回のたたかいへと引き継いできたわれわれは、日本軍「慰安婦」犯罪を全世界に告発し、被害者たちの人権回復と正義の実現を求めてきた。

1000回の水曜日は、戦争犯罪を告発して堂々と立ち上がった被害者たちの勇気と連帯してきた、世界中の平和を愛する人々の希望の歴史である。そして1000回の水曜日は、いかなる苦難にも負けることなく続けられてきた不屈の粘りが勝ち取った忍苦の涙である。しかし、あの固く閉ざされた日本大使館と、戦争暴力の世界で未だに苦痛を受ける数多の女性たちが存在するという現実は、私たちの叫びが1000回を越えてもなお、再び新たに力強く続けられねばならないことを物語っている。

女性の身体を戦争の道具として蹂躙した人倫に反する戦争犯罪が、責任者処罰と法的な問題解決に至っていない今日の現実は、人類の歴史に恥辱を残している。そして何よりも、人類の歴史の最も恥ずかしい記録を、最も長い期間にわたって残している戦犯国日本こそが、戦争と暴力の世紀を終わらせていない最大の犯罪国であることを、今この瞬間にも歴史は記録している。

日本軍「慰安婦」問題は、十代の少女に対する残忍な暴力であり、女性の身体と心を蹂躙した反人道的な戦争犯罪であり、人間の生を徹底的に踏みにじった最も悪辣な人権蹂躙であることを、今日の1000回水曜デモで私たちは今一度確認する。そして、植民地の民衆に対する極悪な民族差別であり、残忍非道な暴圧であったことを再度明らかにする。

真の謝罪と賠償はおろか、その真実すら否認する妄言と責任逃れを繰り返す日本政府の醜い振る舞いは、被害者らに対する第2の暴力であり、二重の苦痛を加えるに等しい行為である。戦場に引っ張られて行った少女たちが白髪の老女になってなお、名誉と人権の回復がなされないままこの世を去っている不当な現実、被害者たちを1000回も街頭に立たせてきた責任を、戦犯国日本に厳しく問う。

日本政府は、20年間叫び続けてきた日本軍「慰安婦」被害者たちの声に耳を傾け、これまで明確な国際法的な判断の下に採択されてきた国連やILOの勧告、各国の国会や地方議会の決議、世界の平和を愛する人々の要求を直ちに受け入れなければならない。徹底した真相究明と共に、公式謝罪と法的賠償など問題解決のための行政的、立法的解決措置を早急に履行しなければならない。

日本軍「慰安婦」問題の解決は、正しい過去精算による韓日外交の平和的で発展的な下地になるであろうし、引いては日本政府が東アジアと世界平和の実現において、きちんとした役割を果たす道であることは明らかである。このように明らかな歴史的かつ法的な責任を、これ以上知らぬふりをしたり、拒否したりすることは日本政府自らが最低限の良心もない戦犯国であることを再び認める行為である。

猛暑と極寒の中で毎週水曜日、戦争犯罪による被害を自ら告発してきた被害者たちの苦痛から目をそらしてきた韓国政府にも厳しく責任を問う。日本軍「慰安婦」問題を解決する主体として、また触媒として、その役割を果たすべきところ、韓国政府は徹底的に無視し放置してきた。韓国政府も正しい過去精算を遅らせるもう一つの障害物となり、被害者らの苦痛を加重するさらなる人権蹂躙をはたらいた。韓国政府は、具体的かつ積極的な外交政策を樹立し、周辺国と国際社会の支援を引き出し、日本軍「慰安婦」被害者がこれ以上、街頭に放置されることがないようにしなければならない。

1000回の水曜デモに込められた粘り強い平和愛好の精神を込めて、今日この場に建てられた平和碑と共に、これまで「日本軍『慰安婦』被害者に正義の回復を!」と共に叫んできた世界の平和を愛する人々がみな、一堂に会した。ここに立っているわれわれ全員は、戦犯国日本政府が日本軍「慰安婦」問題を正しく解決するその日まで、連帯の手を放すことなく、1001回、1002回を越えて水曜デモを続けていくことを宣言する。日本政府は、水曜デモが回を重ねるごとに一層重い責任と歴史の審判が待っていることをしっかりと直視しなければならない。

今日、歴史的な1000回目の水曜デモを迎え、われわれは次のように要求する。

―日本政府は、日本軍「慰安婦」犯罪の真相を徹底的に糾明し、被害者に公式謝罪せよ!
―日本政府は、国際法に則って、被害者に法的に賠償し、二度とこのような犯罪が再発しないよう明確な措置を履行せよ!
―日本政府は、日本軍「慰安婦」問題を教科書に明確に記述し、現在と未来世代が正しい歴史を学ぶ権利を保障し、引いては人権と平和の価値を実現させることを率先しておこなえ!
―被害者たちに1000回の街頭闘争を続けさせた韓国政府の無責任と傍観はこれ以上許されない。韓国政府は、憲法裁判所の判決をより謙虚に受け止め、二国間協議の実現、引いては問題解決のための外交的努力を尽くせ!
―日本軍「慰安婦」被害者たちの正義実現から目を背けてきた各国政府と国際社会にも責任を問う。戦犯の不処罰と戦争犯罪に対する幇助は、日本軍「慰安婦」のような恐ろしい犯罪の再発を誘発するものである。国際社会は戦争と女性への暴力を中断させるため積極的に努力せよ!

2011年12月14日
第1000回日本軍「慰安婦」問題解決のための定期水曜デモ参加者と世界の平和を愛する市民一同

第1000回水曜デモ(大阪)参加報告

14日水曜日、扇町公園でおこなわれました第1000回水曜デモに
行ってきました。
当初、在特会の妨害が予告されていましたが、準備段階に
レベルの低いシュプレヒコールが少しあったようで、本番
には妨害らしきことありませんでした。

歌あり、ソウルの「平和の碑」除幕式の映像などもあり盛りだくさんでした。
連帯のあいさつと交換留学にきている学生さんの言葉が胸に残りました。

少し紹介します。
「私は4時くらいからここに来てお手伝いをしていました。
そしたら遠くの方から私たちに『詐欺!』『うそつき!』など
とてもひどいことを言う人がいました。私は思いました。
ハルモニのされたこと、これまでの人生・・・本当に“うそ”に
してほしい。
ハルモニたちはみんな「平和と愛」ということをいわれます。
そして伝え続けているハルモニはほんとうにすごいです。
ここにこうして集まっているみなさんこそが連帯の証拠です」

・・・とてもきれいな日本語の発言でした。

最後には1000の文字をキャンドルで作りました。
参加者は300名くらいできれいな文字になりました。

この日、日本だけではなく、世界各地でとりくまれ大きな連帯となりました。

この週末から李明博大統領が訪日され「慰安婦」問題について
必ず話し合うと語気を強めています。期待しつつも韓日の動きを凝視
して、ハルモニたちの人権と尊厳をまもる運動を引き続き行なって行きましょう!
(立石孝行)

訃報です

1000回水曜デモを迎えるにあたり、お二人のハルモニの悲しい
お知らせが届きました。
「慰安婦」として強いられた“性奴隷生活”時代やその後の生涯など
詳しい内容が届いています。本当に胸が詰まる思いです。
今回の訃報で、韓国の日本軍「慰安婦」生存者は64名となりました。
このような事実に目をそむけている日本政府に一日も早く韓国政府との協議、
そして謝罪をさせるよう、ひきつづき行動していきましょう。
パク・ソウンハルモニ、キム・ヨジハルモニ、お二人のご冥福を心からお祈りいたします。
以下、韓国挺身隊問題対策協議会からの訃報です。(立石孝行)

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中国吉林省の琿春市で暮らしていらっしゃったパク・ソウンハルモニが12月4日に
逝去されたという知らせを、このほど受けました。
ご遺族からの連絡を受けたのが遅く、私たちがハルモニのためにしてさしあげられるのは
冥福をお祈りすることしかなさそうです。
そして、ハルモニの経験された歴史を忘れないことしかありません。

パク・ソウンハルモニは1917年、慶尚南道釜山付近で10男1女の末っ子として生まれました。
1937年頃、中国吉林省琿春市の慰安所で「ササキ」という日本名で呼ばれながら、
日本軍性奴隷生活を強制されました。
3,4ヵ月ほどした時に病気にかかり慰安所から出されましたが、その時からあちこちを
転々として物乞いをするようにして生きてきました。
戦争が終わっても、ハルモニは故郷に帰ることができず、中国で生きてこられました。
ついに故郷の地を一度も踏むことなく、ハルモニは95歳でこの世を去りました。
挺対協の尹貞玉元共同代表と挺身隊研究所の研究員たちが会いに行った時、ハルモニは
「最近でもじっと座っていると、故郷のことも思い出すし、お母さんのことも思い出す。
でも、故郷に帰っても知り合いもいないし、年を取ってしまったから……。
50歳くらいだったら故郷に帰るけど、今はもう年を取ってしまって無理だ」とおっしゃり、
行きたくても行けない故郷に対する思いを語られました。

故パク・ソウンハルモニの冥福をお祈りします。



本日(12月13日)午前8時、シムト「ウリジプ」で生活していらっしゃったキム・ヨジ
ハルモニが永眠されました。
全州で生まれたキム・ヨジハルモニは1924年生まれ。
1941年(18歳頃)の秋に、平壌で暮らしていたところ、日本人に引率されて女性7人と共に
汽車に乗ってつれていかれ、中国の漢口、海南島などで日本軍性奴隷生活を強制されました。
海南島で解放を迎え、佐世保、下関などを経て46年の春、釜山に帰還、平壌で家族と再会しました。
ハルモニは身体を汚されたという思いから正常な生活ができず、非常に貧しく厳しい
生活をしてこられました。
最近では認知症で苦しんでいましたが、今朝、突然療養病院で亡くなられました。

故キム・ヨジハルモニのご冥福をお祈りします。

市民のつどいin奈良 大成功に終わる!

この間、お知らせしてきました奈良県の学習会「歴史と教育を考える集い 未来をひらく歴史
~記憶と継承~」が11日に開催されました。
会場前が市民マラソンのコースだったため、若干の不安がありつつも84名の参加者を募る
ことができました。奈良県実行委員会のみなさま、本当にお疲れさまでした。
奈良県でこれまで草の根運動的に活動を行なってこられた方や、教師をめざす若者、そして
現場で闘いながら教壇にたつ先生など、兵庫県とは少し違った視点で会場発言をいただきました。

感想文では
「若い自分たちがこの問題をしっかり考え伝えていくことが自分たちの役割」
「日本人として知らなくてはならないことを見過ごしてはいけないと強く思いました。
こういう勉強会をもっと開いてほしいです」
「奈良県からもっと運動を盛り上げ、地域から社会を変えていきたい」
など感想もたくさんいただきました。

いよいよ明日14日は1000回水曜デモです。日本にいる私たちにできること、
それは日本政府の考えを変えていくことです。日本各地でも連帯した統一行動を行ないます。
ぜひ参加お願いいたします。

当日の内容は、この会の共同代表の石川先生のブログをご覧ください。
 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 
http://walumono.typepad.jp/blog/2011/12/12-02.html

いよいよ今週末奈良県で学習会開催!

以前にこのブログでお知らせしていました、第二弾市民の集いin奈良が
今週末に開催されます。
当日は奈良マラソンが行なわれ、会場周辺がコースになり交通規制になります。
詳細の案内をいただきましたので、添付していますチラシ(裏面)をご参照いただき
会場へおこしください。初めて「慰安婦」のことを聞く方にもいい内容です。
ぜひ、たくさんの方をお誘いあわせておこしください。(立石孝行)

*****************************************************************************
11日は奈良マラソンによる交通規制があります。
会場へは、JR奈良駅東口バスターミナル2番乗り場、
または近鉄奈良駅3番乗り場(大阪側改札を出て、右の階段を上がる)から
「天理駅」行きバスで「紀寺町」下車、進行方向に少し進んだ交差点を左に折れ、
坂道をあがると、奈良教育大学前の交差点です。
この大学前の道路が、14時まで交通規制の対象になっています。



奈良チラシ
チラシ裏面

故 ノ・スボク ハルモニの追悼式が行なわれました

先週、雨天の中998回目の水曜デモが行なわれました。
集会に先立ち、先日、永眠されましたタイ在住だった
ノ・スボク ハルモニの追悼式が行なわれました。

追悼式、ノ・スボク ハルモニに関して韓国挺身隊問題対策協議会から
現地の報道資料を頂いています。あわせて紹介させていただきます。

植民地も戦争も女性への暴力もない世界で安らかに眠られることを願います。
心よりご冥福をお祈り申しあげます。(立石孝行)

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11/30に先日亡くなられたノ・スボクハルモニの遺骨がソウルに到着し
日本大使館前で韓国在住の被害者や家族が見守る中
追悼式を行いました。

ハルモニの遺骨は
タイで通っていたお寺と
韓国の故郷に埋葬されることになりました。

朝早くインチョン空港についたハルモニの出迎えには
第10回アジア連帯会議でハルモニが募金をわたされた
地震被害朝鮮学校を支援する会-モンダンヨンピルのクォン・へヒョ共同代表も駆けつけました。

故郷に暮らすことはほとんどありませんでしたが
多くの人々がさまざまな形で支援し
多くの市民が参加して
最後の道は寂しくなかったと思います。

故郷の地で安らかに眠られることを祈ります。

報道資料をはりつけます。

*******
日本軍「慰安婦」被害者
故ノ・スボクハルモニ追悼式
「ノ・スボクハルモニ、解放された世界で会いましょう」

故ノ・スボクハルモニは、1921年にアンドンで生まれ、1942年にプサンで
連行され、シンガポールやタイなどで日本軍「慰安婦」という苦痛を
味わいました。日本の敗戦後も故郷に帰れず、国連軍捕虜収容所にとらわれ、
タイに定着したハルモニ。70年間タイで暮らし母国語をすっかり忘れましたが、
両親と兄弟の名前と故郷の住所ははっきりとおぼえており、アリランと
トラジの歌をよく歌っていました。

ハルモニは、1984年に駐タイ韓国大使館を通じて韓国の家族の捜索を要請し、
同年家族に会いにタイの家族と一緒に40年ぶりに故国を訪問されました。
その後1991年に再度訪韓し、20年ぶりの2011年8月には8泊9日で3度目の訪問を
されました。訪問期間、第10回アジア連帯会議にも参加し、少しずつ集めた
生活費5万バーツを「日本地震被害朝鮮学校を支援する会-モンダンヨンピル」に
寄付されました。また、長い間連絡の取れなかった家族と再会し、91回目の
誕生日を祝い、生涯忘れなかった故郷アンドンを訪れ両親のお墓参りもされました。
最後の願いをかなえたように「幸せだ。ありがとう」を繰り返されました。

ノ・スボクハルモニの遺骨は、追悼式を終えた後、家族とともに慶尚北道
イェチョン郡ホミョン面ソンサンに埋葬されます。

Appendix

プロフィール

「慰安婦」問題の解決を考える会

Author:「慰安婦」問題の解決を考える会
「慰安婦」問題の解決を考える会

2008年8月3日、「シンポジウム/私たちに何ができるか~若者たちと考える『慰安婦問題』」を大阪市内で開催しました。約140名の方が集まり、熱い意見交換が行われる感動的な集まりとなりました。

集会後、もっとこの活動を続けたいとの声があがり、「「慰安婦」問題の解決に向けた意見書可決をすすめる会」を発足し、関西を中心に、地方自治体から国に対し問題解決を求める意見書可決をすすめる取り組みを行ってきました。

2015年12月28日、日韓両政府の間で「合意」が結ばれましたが、私たちはこれが被害者たちの尊厳を回復する解決であるとは考えません。これまで以上に「慰安婦」問題についてともに知り考える場をつくることを目指して、「「慰安婦」問題の解決を考える会」と名称を改め、学習会や講演会の企画を進めています。

このブログも、情報共有・意見交換の場としてお役に立てれば幸いです。

なお、コメントの紹介は承認制としています。管理者が、このフォーラムの趣旨にそわないと判断した場合には、これを表示しません。あらかじめご了解ください。

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