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訃報です

新しい年をむかえましたが、ファン・グムジュハルモニの
訃報がはいってきました。これで日本軍「慰安婦」ハルモニは
58名となりました。
ご冥福をお祈り申しあげます(立石孝行)
※以下、韓国挺身隊問題対策協議会からの情報です。

******************************************************
故ファン・グムジュハルモニが1月3日午後1時45分頃亡くなられました。

故ファン・グムジュハルモニは
1922年にプヨで生まれました。
1934年頃、13歳のときにハムン・チェ氏の家に養女として入り
1941年、日本の軍需工場に行って3年契約で働かなければならないという
通知を受けた主人の家の長女の代わりに連れていかれたのが
軍需工場ではない中国吉林にある民家さえない軍部隊でした。
その後、吉林や満州などで日本軍性奴隷としての苦しみを味わいました。
1945年に解放を迎えましたが、戦場に捨てられたファン・グムジュハルモニは
服や靴を拾って身にまとい食べものを乞いながら歩いてチュンチョンまで
たどり着き その後、石炭車に載せてもらいチョンニャンニで降りてソウルで
暮らし始めました。

ファン・グムジュハルモニは
1992年に挺対協へ被害者申告し、それからは誰よりも積極的な人権運動家
として活動しました。
1992年8月には国連人権小委員会が開かれるスイス・ジュネーブへ挺対協代表団と
訪問し 日本軍「慰安婦」として経た凄まじい経験を暴露、国際人権専門家たちに
衝撃を与えました。
その後、米ワシントン・NY・アトランタ、カナダ、日本など世界各地を廻り
日本帝国主義が女性に犯した蛮行を告発しました。

日本大使館前では「謝罪せよ!」「私の青春を返せ!」と身をよじって絶叫し、
時には水曜デモを妨害する韓国警察に向かって「おまえたちはどこの国の警察だ!」
と激怒しました。

そんなハルモニも2005年から認知症を患い
釜山にいる娘さんのもと近隣の療養院で治療を受けていましたが
2013年1月3日午後1時45分頃亡くなられました。
1月5日に葬儀が行われ、天安望郷の丘に眠る故キム・ハクスンハルモニの
お墓の隣に埋葬されます。

ハルモニが晴らせなかった無念、
私たちが晴らせるよう
挺対協は屈せず活動していきます。
故人の冥福をお祈りくださり、家族と知人に平和を願い、ハルモニが果たせなかった
夢を私たちが力をあわせ成し遂げられるようご協力願います。

共同代表
ユン・ミヒャン ハン・グギョム

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プロフィール

「慰安婦」問題の解決に向けた意見書可決をすすめる会

Author:「慰安婦」問題の解決に向けた意見書可決をすすめる会
・・・
2008年8月3日、「シンポジウム/私たちに何ができるか~若者たちと考える『慰安婦問題』」を大阪市内で開催しました。140名近くの方にお集まりいただき、熱い意見交換が行われる感動的な集まりとなりました。集会後、もっとこの活動を続けたいとの声があがり、このblogの立ち上げに至ったものです。

現在は、関西を中心に、国に慰安婦」問題の解決を求める地方自治体からの意見書可決をすすめる取り組みを行っています。

本blogが、「慰安婦」問題の解決に向けた情報・意見の場としてお役に立てれば幸いです。

なお、コメントの紹介は承認制としています。管理者が、このフォーラムの趣旨にそわないと判断した場合には、これを表示しません。あらかじめご了解ください)

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