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7月5日シンポジウムのお知らせ

「慰安婦」問題の解決に向けた意見書可決をすすめる会が7月5日日曜日にシンポジウムを行います。戦後70年となる今年、「慰安婦」問題や基地の問題、歴史教育の問題など、現在も続く様々な課題に対して、真の「平和」「未来志向」のために私たちに何ができるのかを、戦争の加害と被害の両面を学び、考えたいと思います。ぜひご参加ください。(粟井栄治)

『<戦後70年>アジアの未来と平和を考えるー加害と被害の歴史からー』
会場:おおさかパルコープ3階大会議室(大阪市都島区東野田町1-5-26)
日時:7月5日(日)午後1時より
登壇者:西尾泰広さん(関西勤労者教育協会講師)
    平井美津子さん(子どもと教科書大阪ネット21 事務局長・教員)
    西欣也(甲南大学教授)
 司会:石川康宏さん(神戸女学院大学教授)

チラシは下の画像をクリックして御覧ください。
20150705学習会チラシ
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訃報です

韓国挺身隊問題対策協議会より6月にはいり3人の
ハルモニが天国へ旅立った訃報がはいりました。
心よりご冥福をお祈り申しあげます。(hong hyohaeng)

*********************************************************

日本軍「慰安婦」被害者であるキム・ヨニハルモニが
6月24日夜10時ごろに亡くなられました。

キム・ヨニハルモニの証言による被害状況は以下のとおりです。

1932年にテグで生まれ5歳でソウルに引越。
ソウルの国民学校(小学校)5年生在学中の1944年に
日本人校長によって日本に送られました。
父が独立運動をして中国に行ったことが不利になり送られたとのことです。

ハルモニは下関を経て富山県の飛行場付属工場で約9ヶ月働かされた後
青森県の慰安所に連行され
そこで7ヶ月間慰安婦生活を強いられました。

解放を迎え船に乗ってソウルにもどってからは
慰安所での記憶の後遺症により精神病院で治療を受けました。
その後ハルモニは結婚せずに家政婦で生計を立て暮らしました。

キム・ヨニハルモニが亡くなり
日本軍「慰安婦」生存者は49人になりました。
6月だけですでに3人がこの世を去られました。
本当に時間がないと実感します。
一日も早くハルモニたちが苦痛をふりはらい余生を安らかに過ごせるよう
日本軍「慰安婦」問題解決に多くの関心と連帯をお願いします。

Appendix

プロフィール

「慰安婦」問題の解決に向けた意見書可決をすすめる会

Author:「慰安婦」問題の解決に向けた意見書可決をすすめる会
・・・
2008年8月3日、「シンポジウム/私たちに何ができるか~若者たちと考える『慰安婦問題』」を大阪市内で開催しました。140名近くの方にお集まりいただき、熱い意見交換が行われる感動的な集まりとなりました。集会後、もっとこの活動を続けたいとの声があがり、このblogの立ち上げに至ったものです。

現在は、関西を中心に、国に慰安婦」問題の解決を求める地方自治体からの意見書可決をすすめる取り組みを行っています。

本blogが、「慰安婦」問題の解決に向けた情報・意見の場としてお役に立てれば幸いです。

なお、コメントの紹介は承認制としています。管理者が、このフォーラムの趣旨にそわないと判断した場合には、これを表示しません。あらかじめご了解ください)

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