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故 ノ・スボク ハルモニの追悼式が行なわれました

先週、雨天の中998回目の水曜デモが行なわれました。
集会に先立ち、先日、永眠されましたタイ在住だった
ノ・スボク ハルモニの追悼式が行なわれました。

追悼式、ノ・スボク ハルモニに関して韓国挺身隊問題対策協議会から
現地の報道資料を頂いています。あわせて紹介させていただきます。

植民地も戦争も女性への暴力もない世界で安らかに眠られることを願います。
心よりご冥福をお祈り申しあげます。(立石孝行)

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11/30に先日亡くなられたノ・スボクハルモニの遺骨がソウルに到着し
日本大使館前で韓国在住の被害者や家族が見守る中
追悼式を行いました。

ハルモニの遺骨は
タイで通っていたお寺と
韓国の故郷に埋葬されることになりました。

朝早くインチョン空港についたハルモニの出迎えには
第10回アジア連帯会議でハルモニが募金をわたされた
地震被害朝鮮学校を支援する会-モンダンヨンピルのクォン・へヒョ共同代表も駆けつけました。

故郷に暮らすことはほとんどありませんでしたが
多くの人々がさまざまな形で支援し
多くの市民が参加して
最後の道は寂しくなかったと思います。

故郷の地で安らかに眠られることを祈ります。

報道資料をはりつけます。

*******
日本軍「慰安婦」被害者
故ノ・スボクハルモニ追悼式
「ノ・スボクハルモニ、解放された世界で会いましょう」

故ノ・スボクハルモニは、1921年にアンドンで生まれ、1942年にプサンで
連行され、シンガポールやタイなどで日本軍「慰安婦」という苦痛を
味わいました。日本の敗戦後も故郷に帰れず、国連軍捕虜収容所にとらわれ、
タイに定着したハルモニ。70年間タイで暮らし母国語をすっかり忘れましたが、
両親と兄弟の名前と故郷の住所ははっきりとおぼえており、アリランと
トラジの歌をよく歌っていました。

ハルモニは、1984年に駐タイ韓国大使館を通じて韓国の家族の捜索を要請し、
同年家族に会いにタイの家族と一緒に40年ぶりに故国を訪問されました。
その後1991年に再度訪韓し、20年ぶりの2011年8月には8泊9日で3度目の訪問を
されました。訪問期間、第10回アジア連帯会議にも参加し、少しずつ集めた
生活費5万バーツを「日本地震被害朝鮮学校を支援する会-モンダンヨンピル」に
寄付されました。また、長い間連絡の取れなかった家族と再会し、91回目の
誕生日を祝い、生涯忘れなかった故郷アンドンを訪れ両親のお墓参りもされました。
最後の願いをかなえたように「幸せだ。ありがとう」を繰り返されました。

ノ・スボクハルモニの遺骨は、追悼式を終えた後、家族とともに慶尚北道
イェチョン郡ホミョン面ソンサンに埋葬されます。
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「慰安婦」問題の解決を考える会

Author:「慰安婦」問題の解決を考える会
「慰安婦」問題の解決を考える会

2008年8月3日、「シンポジウム/私たちに何ができるか~若者たちと考える『慰安婦問題』」を大阪市内で開催しました。約140名の方が集まり、熱い意見交換が行われる感動的な集まりとなりました。

集会後、もっとこの活動を続けたいとの声があがり、「「慰安婦」問題の解決に向けた意見書可決をすすめる会」を発足し、関西を中心に、地方自治体から国に対し問題解決を求める意見書可決をすすめる取り組みを行ってきました。

2015年12月28日、日韓両政府の間で「合意」が結ばれましたが、私たちはこれが被害者たちの尊厳を回復する解決であるとは考えません。これまで以上に「慰安婦」問題についてともに知り考える場をつくることを目指して、「「慰安婦」問題の解決を考える会」と名称を改め、学習会や講演会の企画を進めています。

このブログも、情報共有・意見交換の場としてお役に立てれば幸いです。

なお、コメントの紹介は承認制としています。管理者が、このフォーラムの趣旨にそわないと判断した場合には、これを表示しません。あらかじめご了解ください。

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