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4.25大阪集会、ヤンノジャさん講演メモ

 以下、ヤンノジャさんの講演についての手元のメモです。不完全ですが、当日の話の流れや力点などをご理解いただくために(石川)。

・キル・ウォノクハルモニが来れないにもかかわらず、たくさんの方が集まってくれて
・私は京都生まれの在日朝鮮人
・ハルモニ、腹痛で検査入院するが原因不明
・ハルモニが海外で証言することがいよいよ困難に、それを実感した
・アメリカ、EUなどでの決議には公聴会が重要な役割
・宝塚決議の前にも証言集会
・被害者ご本人以外の者が話をしていかねばならなくなってきている

キル・ウォノクハルモニの人生

・1998年に「慰安婦」を申告した、テレビを見ていた、日本で被害者が証言しているニュースが流れて、「私もそこでしゃべらなければ」とつぶやいた、横で聞いていた娘・息子が驚いてたずねた、3人で抱き合いながら、泣きながら話し合った、「おかあさん申告しよう」と
・水曜デモにも参加、日本の政治家の妄言にも立ち向かい
・証言をするようになったのはこの2~3年、それまでは話すことさえできなかった、残酷すぎて口に出せなかった
・いま234名申告、生存93名、そうなるにつれ「自分が話さなければ」と責任を感じるようになった

・つれていかれたのは13才、ピョンヤン生まれ、5人兄弟の3番目、植民地化で貧しい、知り合いのおばさんに「仕事を紹介する」といわれて「技術・食べ物・着るもの・自宅への送金」もいわれた、満州につれていかれた、畳が敷かれた部屋でレイプ、性病になって一度家に返される、ようやく直った時に「はなこ」と呼びかけられた、満州の「慰安所」にいたときの日本名、最初のおばさんにまたあった、二度目の「慰安婦」生活を中国で強いられた、3~4年ほど、毎日毎日からだを洗うヒマもないほど、下半身が傷つく、布団が血でまっかになることもあるが、それでも軍人は襲いかかった、それでもイヤがると殴られる、日本刀でアタマを切られて服が血だらけになり、それが皮膚にはりついたという記憶も

・戦後、現地に置き去りにされる、なんとか船にのって仁川にもどった、政府からにぎり飯1つとわずかのお金を与えられるが、すぐに故郷にかえることはできないと思い、飲み屋で歌を歌ったりしてくらした、そのあいだに朝鮮戦争で南北に分断され、その後、結局今日まで家族に会うことはできず
・結婚はしていないが32才のときに養子・息子をもらった、仕事をして育てた、忘れようとしたが忘れられなかった、20才の時には子宮をとる手術もしている、女としての幸せは何一つ味わえなかった、それを誰かに知られることがこわかったと

たくさんのハルモニたち

・被害申告によってある程度気持ちが解放される、ハルモニたちが集まる場で子どものように時間を楽しむ、それは昔はできなかった、歌がうまいと「慰安婦」と疑われるんじゃないか(深い猜疑心)
・証言者や活動家はすべてを克服した人ではない、まだまだ苦しみから逃れられていない方が多い
・韓国政府からハルモニに生活支援金が出ているが、「支援金」というな「月給」といえと(そう思い込みたい)

・85~90才が存命者の平均年齢、1年に15人くらいの方が亡くなっている、最大の心配は健康問題、高齢だけでなく、「慰安婦」時代の傷が、集会や証言の時間以外は力がない、精神的にも認知症にかかわりやすい
・Kハルモニ、気性のはげしい方だったが、数年前から認知症、釜山の療養院で暮らしている、メンバーがいっても顔がわからない、歩けなくなっている

・「ナヌムの家」には8人いる、中国に残っていて帰ってきた方が多い、「西大門刑務所」の近くに挺対協が運営するウリチプ(我が家)に3名、あと多くは1人暮らし、動けなくなれば横になったまま外へも出ず、それでもニュースなどを見ている、福岡市議会意見書のことなど良く知っている、そういうことで気力が出てくる、日本からもたくさんの気持ちを届けてほしい

・1人暮らしのハルモニをできるだけいっしょに暮らせるようにしたいが、他人を避ける、離婚、家族に排除されるなど、長く1人で生きざるを得なかった人が、いま年をとったからといっていっしょに住めるものではない、他人との関係がむずかしい

09年にどういう活動をしていくか

・世界各国からの圧力を、6月にはILO総会――29号強制労働の禁止に反するとしてこれまでも勧告が何度も出ているが、ハルモニが遠くにいくこと・証言にエネルギーをつかうことが困難になってきている
・7月、2年前の7月30日にアメリカで決議採択、その2周年をアメリカでシンポやセミナー、ワシントン挺対協委員会がある

・韓国では、4月9日に憲法裁判所で公開弁論が行われた、「慰安婦」問題解決の流れの一環として、日本政府――国と国とのあいだの請求権は決着済み・個人の補償は行い得ない、それは1965年の日韓協定によっている、日韓請求権ならびに経済協力協定――植民地支配などの歴史問題の清算をさだめた協定、韓国も軍事独裁政権、日本からカネをもらえば請求権を放棄するという姿勢、強制徴用・「慰安婦」・被爆者・在日同胞の戦後補償などが認識されないままに、この協定を見直そう、2002年文書を公開せよという取り組みを、2005年韓国政府は公開した、政府――強制動員の被害者への対策を推進すると同時に語った、日本政府が行った反人道的な行為は請求を放棄していないと述べた、しかし、それを日本政府に強く伝えていない、そこで韓国憲法の幸福権にもとづいて韓国政府がこれに反しているのではないかと訴訟を2006年に起こした、当時の被害者109人が請求人(いまは84人)になって、ようやく今年公開弁論が行われることになった

・韓国政府は国会決議はあげているが、実際には行動しない、それをどう動かすかという取り組み
・自分たちの問題だけが解決すればいいのでなく、次の世代、子どもたちが同じ残酷な目にあわないように、世界中の女性が幸せに暮らせるように(ハルモニ)、それを行動に移すバトンがわれわれに手渡されている、日本社会で行われていることも同じもの、自治体・国家の決議と行動を求める取り組みも、それには韓国からも協力したい、しかし主体は日本人、ハルモニたちの取り組みの動向を注視している
・いっしょに力をあわせたい

・韓国挺対協90年設立当時から7つの目標、その1つに追悼費あるいは博物館をつくるというのがある、本格的に博物館の取り組みが進んでいる、09年3月8日戦争と人権博物館の起工式が行われた、未来のためにも現代の女性に対する暴力をなくしていくためにも博物館は重要、これからの募金が大切、韓国政府は支援法をつくっているがハルモニたちが真に求める博物館には金を出さないことを決めた、大きな企業はうちの企業は「慰安婦」のイメージとあわない「汚れた女」という理解で遠慮すると
・金だけでなく社会の中の偏見、独立公園につくるが、遺族会もそこに建てることに反対している、独立運動をした人と「慰安婦」では格が違い、聖域に入るな、オジイサンたちのデモが起こるくらいに


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「慰安婦」問題の解決を考える会

Author:「慰安婦」問題の解決を考える会
「慰安婦」問題の解決を考える会

2008年8月3日、「シンポジウム/私たちに何ができるか~若者たちと考える『慰安婦問題』」を大阪市内で開催しました。約140名の方が集まり、熱い意見交換が行われる感動的な集まりとなりました。

集会後、もっとこの活動を続けたいとの声があがり、「「慰安婦」問題の解決に向けた意見書可決をすすめる会」を発足し、関西を中心に、地方自治体から国に対し問題解決を求める意見書可決をすすめる取り組みを行ってきました。

2015年12月28日、日韓両政府の間で「合意」が結ばれましたが、私たちはこれが被害者たちの尊厳を回復する解決であるとは考えません。これまで以上に「慰安婦」問題についてともに知り考える場をつくることを目指して、「「慰安婦」問題の解決を考える会」と名称を改め、学習会や講演会の企画を進めています。

このブログも、情報共有・意見交換の場としてお役に立てれば幸いです。

なお、コメントの紹介は承認制としています。管理者が、このフォーラムの趣旨にそわないと判断した場合には、これを表示しません。あらかじめご了解ください。

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