Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

訃報です

ブログ閲覧のみなさま。年末から悲しいお知らせが続いています。
2010年、年明け最初のブログアップも慶北キョンサンに暮らす
キム・スナクハルモニの訃報でした。今年も訃報が最初のブログ
アップとなりました。とても悲しいです。
年末から年明けにかけて、チョン・ユノンハルモニとイ・ギソン
ハルモニお二人のハルモニが他界されました。日本軍「慰安婦」
生存者は78名となりました。心からご冥福をお祈りいたします。

「慰安婦」問題に関して、運動の歩みはすすみつつも、残念ながら
国政を動かすまでにはまだまだ至っていないのが現状です。今年、
2011年は金学順ハルモニが「慰安婦」であることを公表して
20年がたちます。そして今年の12月で水曜デモは1000回を
むかえます。
なんとしてもそれまでに決着をつけるよう更なる動きをつくりあげて
いきたいです。
以下、韓国挺身隊問題対策協議会からの訃報です。(立石孝行)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
皆さま

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子です。

2010年最後の日である12月31日
夕方9時にチョン・ユノンハルモニが亡くなられました。
年越し直前に連絡が入り今日の朝から弔問に行ってきました。
ちょうど1年前の1月2日に亡くなられたキム・スナクハルモニを思い出します。
年末年始も関係なくハルモニたちには突然死がやってきます。

2010年に亡くなった被害者は9人に増え
日本軍「慰安婦」生存者は79人に減りました。
日韓政府と社会が一日も早く日本軍「慰安婦」問題を解決するよう努力しなければと
いう切迫感を感じます。

ハルモニがこれからいくところには
植民地もなく、女性への暴力もなく、娘だと無視され差別されない場所ではないこと
を願っています。
故人の冥福を祈ります。

*******************************************************************************
皆さま

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子です。

昨年末からハルモニの訃報が続いています。
去年から腸間膜梗塞症で入院していた
統営のイ・ギソンハルモニが1月3日午前11時30分ごろ亡くなられたと
統営市民の会から連絡が入りました。

イ・ギソンハルモニは
1923年に慶南統営市で生まれ
1939年に17歳で日本の工場に行けばお金を稼げるとの言葉に騙され
村の少女2名と一緒に統営から船に乗って釜山に行き
汽車で中国に連行され「タマコ」という名前で6年間苦しい日本軍「慰安婦」生活を
強要されました。
1945年秋に出国を強制され日本の船に乗って釜山に帰国し
釜山捕虜収容所で2ヶ月収容された後
船に乗って故郷の統営にもどってきました。
1993年に日本軍「慰安婦」被害者として申告し
2004年からは日本政府の謝罪と賠償を求めて活動してこられました。

昨年12月20日に応急室に運ばれ病魔と闘われましたが
今日無念を残したままこの世を去られました。

1月4日には市民社会団体葬が開かれ
5日に出棺となります。

極寒の中
ハルモニの健康が悪化しています。

日本からもハルモニの冥福をお祈りください。



訃報です

悲しいお知らせがつづきます。先日も訃報をお知らせした
ばかりですが12月10日にイ・ヤングンハルモニが他界
されました。心からご冥福をお祈り申しあげます。
これで韓国で被害登録されている生存者は80名となって
しまいました。被害者への謝罪と補償、尊厳回復を求める
私たちにとって、一刻の猶予もなりません。
以下、挺隊協からのお知らせです。(立石孝行)

****************************************
皆さま

数日前にシム・ダリョンハルモニの訃報をお知らせしたばかりですが
引き続き悲しいお知らせを伝えることになりました。

全羅北道益山(イクサン)に暮らしていたイ・ヤングンハルモニが亡くなられました。

1923年に益山で生まれたイ・ヤングンハルモニは
1942年に紡績工場に就職させてやるとの言葉にだまされ
シンガポールで解放(終戦)を迎えるまで日本軍「慰安婦」生活を強いられました。
解放後帰国しましたが生活は困難でした。
老人性疾患で苦しまれ
突然の脳梗塞で倒れてから一日もたたず
今日(12月10日)午後4時42分にこの世を去られました。

シム・ダリョンハルモニ、イ・ヤングンハルモニの逝去で
韓国の日本軍「慰安婦」被害生存者は80人のみとなってしまいました。

日本からもハルモニの冥福をお祈りください。

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子

訃報です

韓国挺身隊問題対策協議会より訃報のお知らせがきました。
梁さんも書いていますが、何もないまま年越しができると
思っていましたが。
シム・ダリョンハルモニのご冥福をお祈り申しあげます(立石孝行)

********************************************************************

皆さま

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子です。

テグの市民の会から訃報が伝えられました。

今年下半期は悲しいお知らせをしないまま年を越せると思っていましたが、、、
12月5日午後7時50分に
テグに住むシム・ダリョンハルモニが享年83歳でこの世を去られました。

シム・ダリョンハルモニは
1927年7月5日に慶尚北道漆谷郡の貧しい村で生まれました。
12歳ごろに姉と野草取りに出かけたところ日本軍につかまりトラックに
載せられ台湾の慰安所に連行されました。
そこでの暴行と精神的ショックで長い間精神病を患いました。
解放(終戦)後に韓国に戻りましたが、何も記憶できず病気に苦しみました。
口もきけなかった姉を妹が見つけて家に連れて帰り看護しました。
日本軍「慰安婦」被害の後遺症で
ハルモニは子宮頚部がん手術を受けるなど
様々病気を抱えながらも
奪われた名誉と人権を取り戻すため活発に活動されました。


ハルモニは、2010年6月末から肝臓がんで入院し、痛みに苦しみました。
生前には日ごろから戦争が起こって自分のような苦しみを受ける人がない
よう努力することをお願いされ
病床では「人のように生きられなくて悔しい。生きて日本政府が謝罪するのを
必ず見なければならないのに、、、」と話していました。

ハルモニの最後の逝く道が寂しくないよう日本からもお祈りください。

訃報です

挺対協の梁さんより9月11日に 日本軍「慰安婦」被害者チン・ファスンハルモニが
亡くなられたという訃報のお知らせがありました。ご冥福をお祈りいたします。
以下、挺対協報道資料です。(立石孝行)

************************************************************************
日本軍「慰安婦」被害者チン・ファスンハルモニ逝去
-今年に入って6名、生存者は82名-

日本軍「慰安婦」被害者チン・ファスンハルモニの訃報をお知らせします。

故チン・ファスンハルモニは 1930年に全羅南道チャンソンで生まれ15歳の時に光州
にある製糸工場で働いていたところソウルの会社に就職させてやるとの紹介を受け、
結局満州に連行され「ハルコ」という名前で日本軍の性奴隷となり、苦しい生活を
送らなければなりませんでした。
解放後、上海を経て釜山港に帰還し結婚もしましたが、日本軍「慰安婦」という過去が
ばれて離婚され、最近になって入院するまで全羅北道チョンウプで一人で暮らしていま
した。
挺対協スタッフが訪問するといつもチキンを出前しゆで卵でもてなしてくれ、若いスタッフ
の苦労をねぎらい感謝を伝えていたハルモニは、健康な時には事務所によく電話をかける
方でした。電話をかけてくる度に「私だよ~チョンウプ(に住んでいる)ハルモニ。誰
だい?」と甲高い声で会いたい、いつ来るんだと尋ねました。そして近くの山の紅葉が
散る頃は本当にきれいだと、必ず遊びにおいでと何度も言われました。

ところが1年前から手術と入院を繰り返していたハルモニが、突然秋を目前にして美しい
紅葉をスタッフに見せられないまま很多いこの世をさられました。いくつかの峠を越え
死闘を繰り返していたハルモニが再び奇跡を起こし遊びにおいでという電話をくれること
を願っていましたが 今日(9月11日)午後5時40分ごろに目を閉じられました。

日本帝国主義が朝鮮半島を強制併合して100年 植民地から解放されて65年 何の変化もなく
過ぎていくのがどれほど恨めしかったでしょう。
ハルモニは私たちに再び日本軍「慰安婦」問題解決に時間がないことを悟らせてくれ、
ハルモニが生前になすことのできなかった日本政府からの公式謝罪と法的賠償実現の責任を
私たちに託したまま亡くなられました。
今年に入って6人のハルモニが亡くなられ、234人の申告者中、82人のみが生存されています。

故チン・ファスンハルモニの出棺は、9月13日午前に行われる予定です。
その後、天安の望郷の丘にすでにいらっしゃる「慰安婦」被害者たちの横に眠られます。
ハルモニが逝った場所には、戦争もなく植民地の屈辱的な人生もない平和な場所であること
を願い、ハルモニの冥福を祈ります。

「ハルモニ、安らかにお眠りください!」

訃報です

キム・ゲファ ハルモニが他界されました。生前もご苦労が
あったようです。ニュース記事を添付しておきます。ご冥福
をお祈り申しあげます。(立石孝行)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

(釜山=聯合ニュース2010-05-17 18:14)
チョ・ジョンホ記者= 「今年は1カ月に1方ずつ「慰安婦」
ハルモニが逝去しており、本当に気の毒で胸が痛いです。」
 日本軍「慰安婦」として残忍な苦難を経験したキム・ゲファ
ハルモニの葬儀室を守っていた、韓国挺身隊問題対策協議会
(挺対協)の姜珠恵(慧)(カン・ジュヘ)事務局長は、加害
国である日本の謝罪と法的な賠償問題が解決されることもな
かったのに、高齢の「慰安婦」ハルモニたちをたびたび送ら
なければならないとして、心残りの表情になった。挺対協の
関係者2人と、日本軍「慰安婦」ハルモニと共にする釜山市
民の会(釜山市民の会)のボランティアなど3人が、静かな
雰囲気の中で寂しく葬儀室を守っていた。

 キム・ハルモニが生前に通っていた機張郡(キジャングン)
のある教会の信徒10人余りが弔問に立ち寄っただけで、弔問
客は探せなかった。女性家族部と機張郡で送った弔花が葬儀
室の前に立てられ、挺対協と釜山市民の会の弔花が、それだ
けでも寂しい空間を満たしていた。一歩遅れて消息を伝え聞
いた挺対協所属の会員20~30人が、ソウルなどから今下って
きており、夕方に葬儀室に到着するはずだと言った。

 1921年に慶北・霊徳(ヨンドク)に生まれたキム・ハルモ
ニは、17歳の1938年に日本軍「慰安婦」として引きずられて
いき、光復後に日本にとどまり、1979年に帰国したが、家族
と親戚を探そうとしなかった。キム・ハルモニは、自分が死
んだものと思っていると感じた、母の墓に行ってきただけで、
帰国後ずっと機張郡で一人で生活してきた。故人は慰安所生
活で得た性病で、一生苦労し、6~7年前からは膀胱癌とずい
ぶん戦わなければならなかった。

 釜山市民の会のボランティアのキム・ユンジャ氏は、「キム・
ハルモニは3~4年前から挙動が不便で、病院と療養院を行き
来して治療を受けてきたのだが、昨年からは下血と嘔吐をして、
苦痛がっていた。」として、「臨終の時は、安らかな姿だった」
と、目がしらを赤らめた。

 姜事務局長は、「『慰安婦』のハルモニたちがつらい歴史
を抱いて亡くなっているのに、最後までよくお世話して差し
上げられず、申し訳ない。」として、「慰安婦」ハルモニた
ちに対して、もっと多くの関心を持ってくれることをしっかり
と頼んだ。

訃報です

1月8日に韓国挺身隊問題対策協議会の梁さんより、キム・ウィギョンハルモニの
訃報が届きました。1月2日に、キム・スナクハルモニの訃報をお知らせしましたが
水曜デモ900回を迎えるにあたり悲しい現状が続きます。
ご冥福をお祈りいたします。(立石孝行)

以下、文章転送いたします。

****************************************************************************
皆さま

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子です。

年末年始にかけて悲しいお知らせが続いています。
故キム・ウィギョンハルモニの訃報をお伝えします。

キム・ウィギョンハルモニは、中国武漢に暮らしていましが
この間連絡をしても家族がハルモニとの接触を拒否するなどで会うことができません
でした。
亡くなったのではないかと実態調査を要請していたところ
おととい女性部からハルモニが亡くなったことが確認されたと連絡がありました。

故キム・ウィギョンハルモニは
1918年にソウルで生まれ
1938年に日本軍に強制連行され約7年間中国南京などの慰安所で苦痛を経験しました。
1945年に韓国への帰国を試みましたが
思いどおりにはいかず中国で暮らすことになりました。
ハルモニの姿は
ピョン・ヨンジュ監督の映画『低い声』に収められています。

キム・ウィギョンハルモニが
很はこの世に残して
安らかに眠られるよう
冥福を祈ります。

訃報です

年明け最初のメールが訃報でとても残念です。

1月2日に、韓国挺身隊問題対策協議会 梁さんより慶北
キョンサンに暮らすキム・スナクハルモニの訃報が届きました。
ご冥福をお祈りいたします。

以下、梁さんからの文章を転送いたします。(立石孝行)
********************************************************

皆さま

韓国では年末年始ものすごい寒波に覆われる中

2010年新年が開けました。

しかし、希望あふれる知らせの前に悲報をお知らせしなければなりません。

今日の朝、慶北キョンサンに暮らすキム・スナクハルモニが亡くなられました。



キム・スナクハルモニは

1928年に慶北キョンサンで生まれ

1943年、16歳で就職させてやるとの言葉を聞き中国に連行され

ハルピン、内モンゴルを経て中国で日本軍性奴隷としての生活を強要されました。

1945年、キム・スナクハルモニが18歳の時に中国で解放を迎え帰国を試みましたが

1年後の46年にアムノク江を超えて北朝鮮に帰国されました。

その後、ソウル、クンサン、ヨス、トンドゥチョンなどを転々として暮らしてきました。



ハルモニは、2001年になって日本軍「慰安婦」被害者として申告し

その後挺対協が行う人権キャンプなどに参加もしました。

日本での証言集会も行い日本軍「慰安婦」の実相を証言され

テグの挺身隊ハルモニとともに行動する市民の会が行う

園芸治療プログラムにも続けて参加し

園芸作品展示会も開催しました。



最近、大腸がんが発見された後、手術を成功裏に終え安心していましたが

長い病苦と老衰に苦しんでいたハルモニは

結局病魔に勝てず很多い世界から旅立たれました。



ハルモニが寂しくないよう冥福をお祈りください。



韓国挺身隊問題対策協議会

梁路子

訃報です

昨日(15日)未明、キム・オクソンハルモニが他界されました。
韓国挺身隊問題対策協議会の梁さんから発信がありました。

国内では千葉県船橋市が13ヶ所目となる「意見書」決議が可決されましたが
本当に時間の余談を許さない状況となってきました。

ご冥福をお祈りいたします。

以下、梁さんからのメール文章です (立石孝行)

********************************************************************

皆さま

悲しいお知らせです。

慶北イェチョンに暮らしていたキム・オクソンハルモニが昨日亡くなられました。

今年は例年に比べいったいどうしたことかと驚くほどハルモニたちはもちこたえて
いたのですが、日本で続く意見書可決や政権交代といったニュースがハルモニたち
に希望をあたえ、その命が少しでも伸びていたのでは、、と思っていた矢先です。

ハルモニは

1923年に慶南で生まれました。

1939年に台湾に連行され約7年間慰安所で生活し苦痛の日々を過ごしました。

慰安所で失神するまで殴られ、戦争末期には日本軍から自殺を強要されたと証言
されていました。解放の翌年に帰国し、慶南地域に暮らしていたハルモニはアメ
リカの大学での証言集会に参加し辛い経験を話して日本政府の問題解決を求めて
いました。

これまで老衰と持病のため一年ほど入院していましたが、亡くなる少し前に股関
節の手術を受けた後、気力を回復できずこの世を去られました。

ハルモニの最後が寂しくないよう、皆さんもお祈りください。

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子

訃報です

24日にユン・スニムハルモニが他界されました。
ご冥福をお祈りします。
以下、韓国挺隊協のヤンさんからの発信です。(立石孝行)

*****************************************************************

韓国挺身隊問題対策協議会の
梁路子です。

チョンジュに暮らしていたユン・スニムハルモニが、今日(8月21日)午前9時ごろに亡くなられました。

故ユン・スニムハルモニは、1927年にチョンジュで生まれ、1943年に16歳で日本軍「慰安婦」として連行されました。
ハルモニが到着したところは満州で
そこで悪夢のような時間を過ごさなければなりませんでした。
次の年に故郷にようやくのことで帰りましたが、様々な後遺症と生活苦による困難を経て、
最近病状悪化で動くことさえままならない状態でした。

ハルモニは姉妹で「慰安婦」にされました。
どこで会っても
姉であるユン・グムネハルモニとぎゅっと手をつないで
細かな配慮で面倒を見ていた姿が思い出されます。

ハルモニが逝く道が寂しくないよう
皆さんも冥福を祈ってください。

Appendix

プロフィール

「慰安婦」問題の解決を考える会

Author:「慰安婦」問題の解決を考える会
「慰安婦」問題の解決を考える会

2008年8月3日、「シンポジウム/私たちに何ができるか~若者たちと考える『慰安婦問題』」を大阪市内で開催しました。約140名の方が集まり、熱い意見交換が行われる感動的な集まりとなりました。

集会後、もっとこの活動を続けたいとの声があがり、「「慰安婦」問題の解決に向けた意見書可決をすすめる会」を発足し、関西を中心に、地方自治体から国に対し問題解決を求める意見書可決をすすめる取り組みを行ってきました。

2015年12月28日、日韓両政府の間で「合意」が結ばれましたが、私たちはこれが被害者たちの尊厳を回復する解決であるとは考えません。これまで以上に「慰安婦」問題についてともに知り考える場をつくることを目指して、「「慰安婦」問題の解決を考える会」と名称を改め、学習会や講演会の企画を進めています。

このブログも、情報共有・意見交換の場としてお役に立てれば幸いです。

なお、コメントの紹介は承認制としています。管理者が、このフォーラムの趣旨にそわないと判断した場合には、これを表示しません。あらかじめご了解ください。

最新記事

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。